わがまち紹介
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平成19年7月 わがまち紹介
"淀川の偉大さ大切さと介護を考えるまち:大塚地区"
【 その3/7:大塚神社 】

大塚神社<おおつかじんじゃ>
建武2年この大塚は大洪水に襲われたが、その時仏像が出現し恵慶なる僧が勧請して、神として祭ったのが由来。
立派な外観で常に清掃された綺麗な境内は清々しい。
宮司さんには、拝殿の前で出迎えて頂き、中で説明をして頂きました。
立派な拝殿の中で神殿の中の神々を参拝させて頂くと、大塚の長い歴史の中を、宮司さんと氏子の方々が守り通してこられた努力に敬意を払います。

鳥居の前にて

本殿と宮司さん

大塚神社は、三字(大塚、大塚町、番田)の鎮守社です。
建武二(1335)年この地に大洪水のあった時、 「高皇産霊神」(たかみむすびのかみ)、「神皇産霊神」(かみむすびのかみ)の二柱の木像が流れ着きこれを僧 恵慶(けいぎょう)が奉じて社を築いてこの地に祀った。これが大塚神社の創建といわれる。
 この二神は古事記でも有名な天地を開いた造化の神といわれ、大塚地区の民衆がこの地の開拓を伝承し、この地の鎮護として天地創造の神として祀り、大塚地区の開発のモニュメントとした、といわれている。
 創建した最初の場所はもっと堤防に近い所であったという。
大塚切れの大洪水(大正6年)では灯篭と本殿が残ったとのこと。

神殿と2神体

ニ神の前には、狛犬と左右の大臣が神をお守りしている。
よく見ると、右の駒犬と右大臣は少し口を開け、左は口を閉じています。
ニ神は、古事記でも有名な天地を開いた造花の神。
世界を作った最初の神様とのこと。
この神殿を見ると創建時の華やかさが偲ばれる。
本神社が氏子・地元の方々に愛され伝統が引き継がれて行くものと信じます。

左守り神

右守り神

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