平成19年7月 わがまち紹介
"淀川の偉大さ大切さと介護を考えるまち:大塚地区"
【 その1/7: 概 要 】
月 日 | 平成19年7月19日(木) | 集 合 場 所 | JR高槻駅南 高槻市市営Cバス乗り場 13:00集合 |
天 候 | 薄曇り |
順 路 |
JR高槻駅南バス停 → 東和町下車 → ローズマリー → 大塚神社 → 善立寺 → 西應寺 → 西證寺 → 法蔵寺 → 洪水記念碑 → 枚方大橋北詰 → JR高槻駅
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そ の 他 |
散策路の案内は,会員の坂本勝氏にして頂きました。 詳しい説明資料を準備して頂き、訪問先には事前に連絡して頂いていました。 各関係先では忙しい中を丁寧に説明をして頂きました。 本当に有難う御座いました。 各関係先でお世話になった方々(敬称は省略させて頂きます) ローズマリー:施設長 岡田みどり、総務主任 川口裕子、ケアマネージャー 西絵里奈 大塚神社:中井宮司 善 立 寺:奥野住職 西 應 寺:寺元住職 西 證 寺:尾崎住職の奥様 |
記 |
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大塚地区は、八丁畷を起点とする国道170号線(大阪外環状線とも言う)を南に走り、枚方大橋の手前のまちです。 淀川は、琵琶湖を源とする宇治川と、桂川と木津川をあわせ大阪湾に注ぐ淀川がまちの東側に沿って穏やかに流れ、沿岸の田畑を潤し、また私たちに貴重な水をもたらしてくれています。 淀川三十石船船唄は江戸時代から明治時代にかけて、京都・大坂間の重要な交通・運輸方法として活躍した淀川三十石船の船頭衆によって唄われた全国でも少ない船唄の一つである。 大塚地区では明治時代になって、川下りや遊覧船の船頭に従事する方が現れ、三十石船船唄を伝承してきた。 昭和39年に唄を永く保存するために「淀川三十石船船唄大塚保存会」が結成され、昭和60年に高槻市無形民俗文化財の指定を受け、平成14年に大阪府の無形民俗文化財に指定されています。 1.大塚地区の開発 大塚・番田地区、つまり辻子水路から南の開発は十四世紀後半になってからといわれている。 残されている記録は乏しいようであるが、開発は国家的事業であったといわれていて、中世の末期にこの地で権力を持っていた三好長慶や、後の高山右近の名前が地元の歴史のなかで語り継がれている。 2.大塚伝説(王塚→大塚) 後世の俗伝であるが、九世紀の中葉の清和天皇が陽成天皇に譲位して、国々を廻る旅の途中、この地の「松ヶ崎」にあった小さな松林で休息を取りやがて傍らの松の木に冠を掛けたまま帰ってしまった。 気付いた村人はその王冠を埋めて封土を築き、「王塚」と名付けた。 清和院薨去後、そこに社殿を設けて清和天皇の御霊を祀ったという。以来この地を「大塚」と呼んだといわれる。 この地で成立した「大塚庄」は、文明十四(1481)年になって、公家日野家領として史料に現れる。 |