平成19年5月 わがまち紹介
"まちなかに残る貴重な緑の空間:京大農場"
【 その5/5: 安満遺跡 】
安満遺跡 三島地方ではじめて米作りを行ったのは、安満の集落です。 この遺跡は住居群のまわりに濠をめぐらす環濠集落跡で、南側には用水路をそなえた水田がひろが り、東側と西側は墓地になっていました。外側の溝によって区画された範囲は、東西約150m、南北約140mに及び、当時の土地利用が明らかになっている貴重な遺跡です。 |
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この遺跡は、昭和3年(1928年)に京都大学農学部付属農場を建設する際の工事中に発見されたといわれている。 写真の壺は安満遺跡からの出土品で、古墳時代前期のものとされている。 多数の弥生土器とともに、青銅製のヤジリや木製の農具、珍しい漆塗りのカンザシやクシ、勾玉などの装身具なども見つかっています。 高槻市埋蔵文化財調査センターに保管展示されている。 |
1967年方形に溝をめぐらした墓が発見された。 1970年には農場(果樹園)から良好な状態で木棺が出土している。 安満遺跡ではこうした墓が100基以上も見つかっている。 墓のまわりの溝からは死者に供えられた土器も見つかっている。 そのなかには安満のムラで作られた独特の壷や河内地方の壷など、家族構成や出身地などがわかる。 |
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安満遺跡の土器、イラスト図などは、 高槻埋蔵文化財調査センターの展示品です。 |
環濠集落 最古のムラは京大農場の本館のあたりで見つかっている。 ムラのまわりには幅4m、深さ1.2mほどの2本の溝が平行してめぐらされていた。 溝の外側には土塁が築かれていたとみられ、その溝がムラの排水防湿だけでなく、外敵の侵入を防ぐ為の施設になっていたようです。 安満遺跡は、大溝や墓あるいは土器や木製農具などさまざまな遺構、遺物が見つかっていることから弥生時代のムラを具体的に復元することが出来る数少ない貴重な遺跡とのこと。 遺跡の保存方法としては、公園とするのも一方法であるかもしれないが、少なくともかつての集落跡がイメージ出来るような形で保存して欲しいものです。 |