わがまち紹介
目次へ|次へ(その2/5)

平成19年5月 わがまち紹介
"まちなかに残る貴重な緑の空間:京大農場"
【 その1/5: 概 要 】

背景は、京大農場の本館

月    日 平成19年5月17日(木)
集 合 場 所 阪急高槻市駅 改札出口 13:00集合
天    候 快 晴
順   路 阪急高槻市駅 → 京大農場 本場 → 安満遺跡 →  京大古曽部温室 → 阪急高槻市駅
そ の 他 京都大学本農場では、立派な説明資料を頂き、農学博士 北島宣先生が大きな講義室で全体説明と安満遺跡をスライドで説明して頂きました。
各農場では各部門の先生に現場で説明をして下さいました。

蔬菜農場:片岡 圭子 先生、    水田 :寺石 政義 先生
果樹園 :羽生  剛 先生、    古曽部:札埜 高志 先生
本当に有り難う御座いました。

京大農場 本場
京都大学大学院農学研究科附属農場(京大農場)は、大正13年農学部の創設にともなって北部キャンパスの農学部構内に開設され、その後変遷を重ねて、現在は高槻市八丁畷町の本場、古曽部町の古曽部温室および農学部構内の京都農場から構成されている。
1928(昭和3)年に開設された農場は本館、別館(技官室)、実験棟からなる。本館は1929年頃に建築された木造の建物で西欧的な景観を生み出している。
開設した当時はこの地を大阪府三島郡磐手村大字安満(あま)といい、純然たる農村地帯であった。周辺には、紀元3世紀頃に築造されたと思われる 安満宮山古墳があり、その南側には当時の村落の跡がある。 村落の跡は農場の敷地のかなりの部分を占めている。農場開設当時に遺跡の調査が行われ、安満遺跡での村人の生活の様子や当時からすでに稲作が行われていたこと等も判明した。
安満は親村でその後に出来た周辺の村が子村に当たる。

安満遺跡  弥生時代 集落跡
 この遺跡は、昭和3年(1928年)に京都大学農学部付属農場を建設する際の工事中に発見されたといわれている。
三島地方ではじめて米作りを行ったのは、安満の集落です。この遺跡は住居群のまわりに濠をめぐらす環濠集落跡で、南側には用水路をそなえた水田がひろが り、東側と西側は墓地になっていました。全体では東西1500m、南北600mに及び、当時の土地利用が明らかになっている貴重な遺跡です。
 多数の弥生土器とともに、青銅製のヤジリや木製の農具、珍しい漆塗りのカンザシやクシ、勾玉などの装身具などもみつかっています。
弥生時代から鎌倉時代まで約1400年間続いた集落があった。

京大農場 古曽部温室
古曽部温室は大正13年に創設され、京大農学部の付属農場で温室が主体となっており、特に胡蝶蘭の栽培でマニアには広く知られています。
 主温室は4室あります。洋らんの栽培が行なわれていましたが最盛期を過ぎていました。
蘭以外にもパフィオペデイラム、カトレア、デンドロビューム、シクラメン、カランコエ等多くの草花も栽培されていた。

京大植物園と言われていたときには、サボテンや食虫植物で有名だったとのことでした。

このページの先頭へ戻る