平成19年4月 わがまち紹介
”銅鐸つくりのまち・さくら通り散策:南茨木"
(その1/4)
【 写真集 その2 】
← 銅鐸の鋳型出土地 東奈良遺跡の南東端から加工した石(凝灰質砂岩製)が発見されました。 ここには、写真のような看板が立っていますが、車のガレージで車が駐車していますと看板も見えず気がつかない。 東奈良遺跡は、弥生時代の大集落で、昭和48年から翌年にかけて、銅鐸を造るための鋳型の他、鎔笵関係の遺物が多数出土しています。 |
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銅鐸の鋳型出土地 |
銅鐸鋳型 |
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これまでに出土した遺物は、壺・甕・高坏・鉢などの土器類、石斧・石包丁・石鏃・石錐などの石器類、鋤・鍬・杵・臼などの木器類、また食用にしたと考えられる貝や鹿・猪などの骨など当時の生活必需品はすべて出土しています。 このあたりは、弥生時代に既に、高度な文化が栄えていたようです。 とくに昭和48年から翌年にかけて出土した銅鐸・銅戈・勾玉などの鋳型類は、その年の文化財に関する十大ニュースのひとつになりました。 |
↑ 写真に示しています鋳型は、凝灰質砂岩という石に文様を彫り込んだ、第1号流水文銅鐸鋳型で、国の重要文化財に指定されています。 原田神社銅鐸(豊中)と我拝師山銅鐸(香川県)が同じ銅鐸の鋳型から鋳込まれたことがわかった。 別の銅鐸鋳型や、精錬炉に風を送る吹子口が出土し展示もしています。 |
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銅鐸と鋳型 |
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大田廃寺は東太田にあり、塔婆心礎(五重・三重塔の中心柱を支える石)、心礎の中心の長方形の舎利孔より舎利容器一具が発見された。舎利容器とは,舎利(仏の骨あるいはそれに代わる宝石類)を納める容器をいい、日本においてこの一具が現存するのは他に2例しかない貴重なものである。(東京国立博物館蔵) これらの点から,太田廃寺は7世紀後半(法隆寺再建頃)に創建された立派な伽藍をもつ寺であったことが想像される。 | ||
大田廃寺塔婆舎利容器 |
地下の倉庫の貴重な土器等 |