わがまち紹介
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平成19年4月 わがまち紹介
”銅鐸つくりのまち・さくら通り散策:南茨木"
(その2/4) 【 写真集 その1 】

背景は、桜通りの桜

茨木市立文化財資料館は、阪急南駅より東に約300m、JR貨物引き込み線のそばにあります。
館内は中央に茨木市全体の地形模型に史跡・遺跡の有る場所を電光で示しています。
館長から時代順に説明して頂き茨木を理解することが出来ました。
又、陳列棚には、時代順に提示されています。これも時代順に展示品を見ながら説明を受けました。
茨木では、旧石器時代(今から1万3千年前)頃から人類の往来があったことが、大田や郡の付近から見つかってた石器を説明を受けた。

文化財資料館

茨木市航空写真で全体説明

↓ 縄文時代
土器が使われ始め、弓矢等の狩猟道具も発見されています。
茨木で最も古い集落は、縄文時代の終わり頃の耳原遺跡です。
それ以前の土器や石器類も発見されているとのことです。
まだ作物を作ったり、あまり多くの道具を持っていない人々は、自分たちが生活するのに便利な高い所や食料となる魚がとれる川の近くに住んでいました。
各集落で自給自足していたと思われてきたが、土器を調べるとその当時から物流が有ったと思われる。
↑ 資料館の入口右側に茨木市南部の航空写真の前で、東奈良の環壕集落遺跡等の関連の説明を受ける。

← 茨木市の地形模型の前で時代順にその背景と遺跡との関連を説明を受けました。
東奈良の環壕集落遺跡は弥生時代の遺跡として全国的に有名です。
弥生時代(約2000年前)の大集落で、この地域の拠点的集落のひとつです。
遺構は弥生時代から古墳前期と思われる。
遺構の回りには多くの古墳があるとのことです。

館長小野邦明さんの説明を聞く

→ 弥生時代
稲作が始まり、人々の生活は安定してきました。
この時代になると生活が平地にも住むようになり、多くの集落があちこちに出来てきたとのこと。
茨木で稲作を示す遺物は、土器の底に籾殻のついたものや農耕に用いた鋤や鍬などがありま展示されています。
耳原古墳は平地に盛土された6世紀後半の円墳で、三島地方最大の巨石古墳として知られています。
横穴式石室の内部には、石棺が2基安置されています。

縄文時代の土器

弥生時代の土器の数々

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