平成19年3月 わがまち紹介
”高槻市の鎮守の森:上宮天満宮"
(その2/4)【 写真集 】
JR 高槻駅を北側に出ますと陸橋の上から上宮天満宮の大鳥居が見えます。 この参道は、五月祭りの神輿巡幸にお稚児を乗せる馬駆け行事もあり、また武士が実際に馬術修練をしたからでしょうか、この道は「天神馬場」と呼ばれていたようです。 天神山丘陵には、東に安満宮山古墳、西に今城塚古墳と三島古墳群の中に天神山遺跡(弥生時代中期)があります。 上宮天満宮への第一の大鳥居は旧西国街道との交差点にあり、昔から多くの参拝者で賑わったことでしょう。 |
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大鳥居/境内図 |
上宮天満宮碑/衣裳塚碑 |
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今回のVG槻輪の「わがまち紹介」は、創建1050余年と長い歴史があり、境内も4万平方mと広く、都心に近く、自然原生林の有る「上宮天満宮」に絞り込みました。 天満宮の代表の森嘉和さんには、お忙しいなか、長時間にわたり、上宮天満宮の生いたち・由緒から、本殿・本祭式殿・香梅殿等々の内部にまで案内をしていただきました。 至る所に環境に配慮され、心安らぐ空間作りに努力されているのを感じました。 |
上宮天満宮碑の裏側に菅公衣裳塚があります。 太宰府へ流される途中、道真公の衣を埋めたとされる所を示すささやかな碑があります。 道路を隔てた向側に、かつては其の塚とおぼしき土盛りもあったとのことです。 参道の脇に大きな石が有りますが、 高槻城の石がここに残っているとも聞いています。 |
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代表の森嘉和さんの説明風景 |
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野身神社・野見宿禰の墳 参道の石段を登り詰めるとすぐ右手に野見宿禰の塚と称される古墳の上に神殿が鎮座している。 この地方は、古くは濃美郷・濃味里・野身里・野身郷などと呼ばれ、野身一族の土地であった様で、それを記した碑が建っています。 6世紀の円墳上に建てられた古社で「延喜式」神名帳に載る島上郡の同名社に比定される。 野見神社は土師氏が祖先の野見宿禰を祀ったもので、菅原氏は土師氏の出身であり、当社の祭神の関係が知られる。 | ||
山門鳥居/三柱山門 |
野見宿禰の塚/郷名碑 |