平成19年2月 わがまち紹介
"西国街道:郡山宿本陣(椿の本陣)"
(その2/4)【 写真集 】
郡山本陣では、正門を開けて我々を迎えて頂きまいた。門を入った左手の椿の大樹も花満開で椿の本陣と呼ばれるのがわかった。 当主の梶様には長時間、丁寧に説明をして頂き、有難う御座いました。 京都から伏見を経て西宮に出て山陽道に入る。これが西国街道で、この間の宿駅は東より山崎、芥川、郡山、瀬川、昆陽(こや)の五ヵ所あり、なかでも郡山は中間に位置し、参勤交代の大名らが泊ったのが郡山本陣です。 |
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シンボルの椿の花/説明立て看板 |
表通りの全景/全体 |
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この本陣の当主は梶様です。現当主は第17代とのこと。享保3年、火災のため類焼したので、現在のものは同6年再建された。建坪208坪の広大なものです。明治3年に本陣職はやめられたが、元禄年間以後の古記録や宿札等が多く残されています。有名な藩主が泊られた宿札も多くあります。 本宿坊で使用されていた貴重な資料を読んで説明を受けました。 当時の宿帳の記載から生活の実情を説明して頂きました。 |
旅宿は本陣、脇本陣、旅篭(はたご)に大別された。中でも本陣は門、玄関、番所、槍の間、御継の間、上段の間等を設け、土地の名門や豪家がこれにあたった。中国、四国、九州の大名は、しばしばここに泊っている。 大名が泊るときは、宿泊の何ヵ月か前に設営の役人が来て、本陣と打ち合せをし、宿泊費用の交渉内容などを台帳に載っていると説明を受けた。 本陣には治安権など大きな権限も与えられていたとの事。 |
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表玄関/門から玄関へ |
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宿泊する大名は、いわゆる大名行列(数百人のこともある)でやってくる。人数はそれぞれの勢力によって違ったが、幕府が規定した数より大人数だったようです。 特に人足には、立て看板、まん幕、寝具、食膳、鍋釜、風呂桶などまで持ち歩いたためか。 本陣には大名と家老、用人、料理人等が泊まり、その他の武士や人足は、近くに分宿したので、宿舎は五十数軒にも及ぶことがあった。 | ||
梶さんの説明風景 |
古文(台帳や表札の説明) |