わがまち紹介
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平成18年12月 わがまち紹介
" 高槻西国街道を散策:芥川町"(その1/4)
【 概 要 】

月    日 平成18年12月21日(木)
集 合 場 所 JR 高槻駅改札出口 13:00
天    候 秋晴れ
順   路 JR高槻駅 → 芥川仇討の辻→ 芥川一里塚 → 西国街道を西へ → 教宗寺 →  芥川公民館 → 芥川城跡 → 環境科学センター → 芥川桜堤公園
芥川仇討の辻
風俗史の上からも貴重な資料として【続近世畸人伝】などの諸書にも取扱われた芥川仇討の辻

西国街道
江戸時代の正式名称は「山崎道」で、脇街道であったが維新後西国街道となった。
本街道は東海道で淀川左岸(伏見〜淀〜枚方〜守口)の道です。
山崎道は、京都〜西宮:13里7町(約42Km)です。

芥川一里塚
一里塚は江戸時代に道程の目印として一里ごとに塚を築き榎の木を植えた場所で、この芥川一里塚も昔は街道の両側にあったのが、いまは東側だけが残っています。
さらに街道を進みますと江戸時代にでも来たかと思うような朱塗りの家が見られます。これが提灯屋さんで、旧西国街道筋にふさわしい、しかも扱い商品がこれまた提灯。

旧芥川宿
芥川一里塚から芥川橋までの間約400mの町並み。かって旅籠屋などが建ち並び、大名行列や旅人らが行き交う北摂の要地で、本宿でなく「間の宿」(中休みの所)として栄えた。

教宗寺(きょうそうじ)
弘安10年(1287)に建立。江戸時代の芥川絵図にも描かれ、現在も当時の面影を残したお寺です。
「神恵山教宗寺」は浄土真宗本願寺派(西本願寺)に属し、本尊は阿弥陀如来である。 境内の一角、本堂の手前に花崗岩の自然石をくり抜いて作った長さ約2m、幅約1m、深さ約35cmの石槽が置かれている。
石槽には石棺と石風呂の二つの場合があるが、この石槽には底に小さい水抜き孔があることから、石風呂と考えられている。

芥川公民館(旧名;高槻市立中央公民館)
中谷紘也(ひろや)館長と面談・貴重な芥川山城と芥川城の資料を頂きました。

芥川城跡
殿町の高槻スイミングスクールの南側の西へ約50m。
芥川城がいつ築城されたのかは定かではない。が、おおよそ鎌倉時代後期に北摂地方の土豪であった芥川氏が居城するようになって、その名が歴史上にあらわれてきたようである。
 応仁・文明の大乱(1467−77)の時に、芥川氏は西軍の大内政弘に敗れてしまい、芥川城もまた城主とともに運命を共にしたのであろう。
 その後、延徳二年(1490)に細川政元が芥川城の再建に乗り出した。城主として配備されたのが能勢因幡守頼則であった。
 やがて三好氏が台頭するようになると芥川城は廃され、芥川山城へと中心は移っていった。
生垣の間に、この石碑があると聞いたが屋敷の中で工事中の為か見ることが出来なかった。 今ここは、個人の住宅のようで、一般に公開されていないようで、外からのみの写真撮影になった。

環境科学センター
センター長他職員の方にビデオや内部の説明をいて頂きました。
お忙しいなかを有り難う御座いました。
環境科学センターは、芥川水系などの市内河川水の水質監視の為の分析の他、
@ 地下水汚染「監視のための水質検査」
A 工場、事業場排水の水質分析
B 酸性雨調査の他、平成5年より保健所が受けた水の分析、プールの水質検査を行なっています

芥川桜堤公園
4月は桜見物客で賑わい、5月は鯉のぼりが川面に泳ぎます。夏は涼を求めた子供たちが川遊び・・・。芥川を身近に楽しめる、市民に人気の遊び場です。

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