平成18年11月 わがまち紹介
塚脇バス停 竜神王神社鳥居 芥川山城への道 山頂への道と山頂での展望 芥川山城主郭跡碑
"歴史あるまち:清水地区"(その3/6)
【 芥川山城跡・竜神王神社 】
塚脇バス停
バス停は、摂津峡大通に有り南を見ると広々とした田畑が展望でき、昔は冬場寒天の天日干しが行われたところです。芥川の西之川原橋のたもとに昔の寒天工場の建物が見えます。
山側を見渡すと大きなマンションが目に入る。ここを目指して、塚脇の集落の迷路のような小径を抜けてゆく。「黄金の里」という名の介護施設横を通ると道幅も少し狭くなり両側の竹藪を通り三好山へと進む。
三好山は、三方を芥川に囲まれ、残る一方は断崖となっており、山そのものが難攻不落の砦となって、天然の要害をもつ芥川山城跡があります。約500m四方に展開する戦国時代屈指城郭です。けわしい地形を巧みに利用して土橋や土塁・石垣を随所に構築し、最高所に主郭、防御正面に追手(大手)を配置した壮大なつくりになっています。
三島平野の最奥部に位置し、芥川越しに淀川流域を一望できる城構えは、実践に対応する山城の面目躍如たるものがあります。
三好山への入り口とは反対側に小さな木製の鳥居がある。
地元の人もあまり知られないが、急な坂道を降りて行くと竜神王神社の本殿がある。
本殿の前は急な断崖でその下に摂津峡の川が流れていている。
本道は建て変えられて新しい。本尊は大きな石の碑となっている。
神社の名前は何処にも書いてない。
16世紀前半(永正年間)に、室町幕府の管領、細川高国配下の能勢氏が西国勢と北摂武士団への備えとして築いた城砦にはじまるとされますが、本格的な山城となったのは、天文22年(1553)、阿波徳島から攻め上がってきた三好長慶が管領細川晴元を擁し入城したときといわれています。その後、長慶は晴元を追放、永禄3年(1560)に、河内飯盛城(四条畷市・大東市)に移るまで、この地を本拠に畿内近国八か国を支配しました。