わがまち紹介
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平成18年10月 わがまち紹介
"隠れキリシタンの里:千提寺地区"(その3/5)
【 キリシタン遺物史料館 】

茨木市立キリシタン遺物史料館
「隠れキリシタンの里」として有名な千提寺にあります。
館の設立の説明や館内の説明をソフトな口調で丁寧に東(ひがし)さんに説明して頂きました。
 茨木の山地部の千提寺や下音羽は、キリシタン大名として高名な高槻城主であった高 山右近の領地であったことから、キリスト教が布教されました。
しかし、豊臣秀吉は天正15年(1587年)にキリシタン宗の布教と信仰とを厳禁した。

キリシタン遺物史料館

説明版と千提寺地区散策

 さらに慶長18年(1613年)には徳川家康もキリシタン禁教令を配布し、右近は慶長19年にルソン島のマニラへ他の信者たちとともに追放され、他の信者達は、その縁者までも含めて死罪・流罪等の厳科に処せられた。
こうしたことから、信者達は表面は仏教等を信仰しているように見せ、山奥深く隠れるようにして信仰していたもので、大正8年(1919年)2月、キリシタン研究家の藤波大超氏が千提寺の山林(通称クルス山)の中腹からキリシタン墓標を発見するまでこの辺がキリシタン宗に関係があるという確証がありませんでした。

懐かしい村里の風景に違和感のない小さな洋風住宅の造り、絨緞敷きの展示室は南側いっぱいのガラス戸越しに和風の庭と山里の景色が望め、北側の展示棚にここ千提寺と、この上の隣村・下音羽から発見されたキリシタン遺物が展示されていた。
キリシタン遺物史料館では、千提寺の民家で発見された品物の画像や保管場所の話などのビデオ放映がみられます。
隠れキリシタンの遺物を館内に展示されています。

キリシタン遺物史料館

史料館には、女性が口承で受け継いだ祈祷文や新村出博士の文章、十字をさりげなく描き込んだお椀、分解可能なキリスト像などの遺物が展示され、隠れキリシタンたちの信仰の様子を彷彿とさせてくれます。
ザビエル画像やマリア15玄義図などを収納し、長男のみが受け継いだ「あけずの櫃」と呼ばれる木箱は、特に印象的でした。この櫃は、屋根裏の梁にひっそりと結びつけられていたそうです。我々が教科書で目にするザビエル画像は、現在は神戸市立博物館に展示されていますが、この「あけずの櫃」に伝承されたものだそうです。

展示品の写真は、茨木市教育委員会発行の「千提寺・下音羽のキリシタン遺跡」の写真です 

ステンドグラスと祈祷文

マリア十五玄義図

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