千提寺地区
「千提寺(せんだいじ)」この地にお寺はなく、この地に住んだキリシタンたちのカモフラージュではないかと言われている。
イエズス会独特の十字架といわれる二支十字(干)を表す「千」と聖母を象徴する「菩提樹」の「提」に山人の目を逃れるために「寺」をつけたといわれる。
この付近はキリシタン大名として有名な高槻城主・高山右近の領地であった影響で、当時キリスト教信者となった領民が多く、キリスト教禁制後も隠れキリシタンとなり、山奥のこの地で信仰を密かに守りつづけた人々がいた。1919年(大正8年)にキリシタン研究家の藤波大超氏が、この地が隠れキリシタンの里であることを突き止め、それをきっかけに付近の多くの家から隠れキリシタン遺物が再発見された。
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