わがまち紹介
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平成18年 9月 わがまち紹介
"自然と開発の調和を問う:成合地区"(その2/9)
【 成合地区 】

 高槻市成合地区は、JR高槻駅の東北、はるか丹波まで連なっている山並みの麓の、こじんまりとした盆地で、檜尾川上流一帯に位置する。
地内に能因法師の桜で有名な金竜寺がある。南北朝期〜室町期に成合荘の荘園名で出てくる。
永亭9年(1437)4月吉日成合春日神社事例式写に当時の春日神社の神事の例式を記している。
応永年間(1394-1428)の神事は近郷75郷によっておこなわれているが末年頃より、古曽部村・安満村とで祭礼を行なっている。
天保年間(1830〜1843)には綿作がおこなわれており、慶応2年(1866)には、富田紅屋酒造株引分け人の酒屋1軒があり50石造っている。
江戸期〜明治22年の村名は成合村で約300石余りで 高槻藩領70石余り、金竜寺領30石余りとなっていた。
産物は、米・麦・野菜のほか薪・松茸・スパイ(素灰)を淀川筋道齋浜まで出荷していた。 昭和39年日吉台1〜5丁目、同43年別所本町、同44年(1969)弥生が丘町・宮が谷町・成合北の町・成合中の町・成合西の町・成合東の町・成合南の町・日吉台1〜6丁目となる。
鎮守は春日神社、寺院は天台宗安楽院末金竜寺、浄土宗阿弥陀院末西王院・妙厳院末阿弥陀寺。
注記
金竜寺山には春の桜見物、秋にマッタケ狩りと、人々の行楽の場所でもあったらしい。
能因法師の歌に、

   「山里の春の夕暮れきてみれば
       入相の鐘に花ぞ散りける」


というのがある。この歌から、桜の名所だったことが偲ばれる。だが、昭和58年心ない ハイカーの火の不始末で、金竜寺は焼失してしまう。

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