わがまち紹介
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平成18年 8月 わがまち紹介
"自然と史跡の探訪:大山崎"(その2/5)
【 大山崎町歴史史料館 】

大山崎町歴史史料館
大山崎ふるさとセンター2階に大山崎町歴史資料館が有ります。
「大山崎ふるさとガイドの会」の事務所はここに有ります。
← エントランスルーム
エントランスルームでは、町全体の地理・歴史がわかるようにパネル等が展示されています。ここで大山崎町の全体の説明をしていただきました。
両側が竹林になった通路を入ると館内に名水にちなむ井戸が見えます。

エントランスルーム

緑彩陶器火舎・釜

左側から古代コーナー(石器時代の石器から土器など・山崎の関所等)、中世コーナー(油生産と町の繁栄)、国宝の茶室「待庵」の原寸大の復元模型、近世コーナー(城下町・神領支配)と大山崎町の歴史や文化等を展示しています。
 大山崎は交通の要衝というだけでなく、山水が美しく清らかな土地で文化人が多く訪れています。
↓ 埋甕遺構
街道筋には油を造る神人(じにん)達の屋敷が並び油を貯蔵する倉を持ち、倉の中には大きな甕が半ぱ埋められた形で整然と並んでいた。

← 山崎津
 山崎は、西国街道・三川合流点(木津川、宇治川、桂川)に当たり、奈良時代には瀬戸内海から淀川、木津川を経て平城京に至る河川交通の要衝の地として山崎の駅が置かれ、僧行基によって淀川に山崎橋(河陽大橋)が架けられた。
 平安時代には、毎年4月、天皇の勅使が離宮八幡宮を経て、石清水八幡宮に詣でたが、勅使が対岸に向かう行事は、五十余艘の船を仕立て藤の花をかざした壮麗な行列で、「日使頭祭」と呼ばれた。

山崎津(港)

貞観(859〜)年間、離宮八幡宮の神官が神示を受けて「長木」という搾油器を発明し、「荏胡麻油」の製油を始めました。
当初は神社仏閣の燈明用油として奉納されていましたが次第に全国にこの業が広まり、離宮八幡宮は朝廷より「油祖」の名を賜って山崎に「油座」(組合)の制度が引かれました。諸国の油商人は本宮から許状を授与されるに至り、離宮八幡宮は油の販売権を独占して栄えて行きます。
 

半ぱ埋め油甕

茶室「待庵」(原寸大の復元模型)

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