わがまち紹介
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平成18年 5月 わがまち紹介
(その2/2)
"万葉の里:玉川の里・三島の里"


3.正徳寺
浄土真宗本願寺派のお寺。門の東にある卯の花の大株は樹齢100年ともいわれる古木です。
ウツギ(空木)(別名:卯の花)高槻市保護樹木に指定されています。
茎が中空なので空木(ウツギ)と呼ばれます。

4.三島江浜跡
三島江は、玉川の里と並んで歌枕の地として知られています。また、近世来は河港 として、にぎわいをみせ、三島江浜とも呼ばれました。現在の姿から昔の面影をみる とはできませんが、堤防下に残っている妙見灯籠が、当時の様子をしのばせてくれます。
 

正徳寺

浄土真宗本願寺派のお寺

卯の花

高槻市保護樹木に指定 樹齢100年以上卯の花の木、表の参道からも綺麗に見えます
5.三島鴨神社
 4世紀に入って大和を中心とした国家体制が確立し、大和国家が採用した支配方式は、地方に成長した小国家を「県」(あがた)に編成し、その地方共同体の支配者を「県主」(あがたぬし)として統治させるのであった。
三島県主(みしまのあがたぬし)は、「続日本記」に三島県主が鴨宿彌(かもすくね)の姓(かばね)を賜ったとの記述がみえる。
鴨氏の祖先を祀る鴨神社があり、産土神(うぶすなのかみ)として伝承されている。
高槻市赤大路町字鴨林に鎮座の鴨神社である。 鴨林は今でこそ住宅地で一杯だが、その昔は深い森だったようで、淀川からはいささか離れてはいるが、鴨族の祀る神社とのこと。 「弁天山古墳」が鴨氏一族の墓といわれている。

弁天山古墳の他に弁天山古墳群も築造時期からみて鴨氏一族の墓と考えられる。
鴨氏は淀川へ出た氏族と言われている。難波地方は、古代、難波の八十島といわれたように、河川の運ぶ土砂が堆積して陸地が形成し、多くの島々が点在していた。古代の人々は島が作られていくのを神の威力と感じ、「御島」と呼んだ。「三島」は「御島」である。「御」は単純な敬称ではなく、地の神への信仰と、地域への愛着がこめられている。
社伝によれば仁徳天皇の時代に百済より大山祇(おおやまづみ)神社を迎えて摂津御島に淀川鎮守の社を造ったのを創祀としている。
 

三箇牧水路

現在は水路の部分は散策路となっています

主祭神は、大山祇神(大山積神、大山昨神とも)。和多志(わたし)の大神とよばれる航海の神であるが、洛北の上賀茂神社の祭神、賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)の父神である。
日本三三島とは伊豆の三島神、伊豫の大三島神、摂津の三島と考えられている。
本殿 直接本殿にお参りできる。拝殿の再建が遅れてそれが習慣になったとのこと。
 祭神については現在は大山祇神(おおやまずみじんじゃ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)の二柱となっている。 この神社の名前の三島に重点をおけば渡しの神の大山祇神、鴨に重きを見れば事代主神となる
 

三島江

三島鴨神社

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