わがまち紹介
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平成18年 5月 わがまち紹介
(その1/2)
"万葉の里:玉川の里・三島の里"

月    日: 平成18年5月18日(木) 13:30集合
集 合 場 所: 玉川橋団地バス停
天    候: 前日の雨もやみ散策には良い天気でした。
 万葉の里は、万葉集をはじめ新古今集、千載集など多くの歌集に登場する三島江や玉川コースです。
 この地は、万葉集にもあるように、芦が生い茂り、卯の花が咲き乱れる自然豊かな地でした。その面影を偲びたいと「卯の花」の満開時にこの里を訪れます。
昨年度の花の開花時期から5月中旬と決めましたが、今年は1週間ほど遅れた様です。
散策ルート:JR高槻駅バス乗り場 → 玉川橋団地バス停 → 玉川の里(卯の花の道散策)→ 松尾芭蕉に碑 → 正徳寺 → 三島鴨神社 → 三島江浜跡 → 三箇牧公民館 → 三島江バス停 → JR高槻駅バス停

1.玉川の里
高槻市玉川二丁目にある「玉川の里」は市内の南部、そこに咲く「うのはな」は、平安時代から古歌の歌枕として知られ、江戸時代にも俳句や川柳の題材にもなりました。
 古くから詩歌などにうたわれた景勝地として、全国に6ヶ所の玉川(六玉川)があり、高槻の玉川は、山城国、近江国などの玉川とともに、「摂津国三島の玉川」として六玉川のひとつに数えられていました。 それらは、地域ごとに、それぞれ詩歌に詠み込まれている風物が決まっていて、山城国井手は山吹、近江国野路は萩、武蔵国調布は晒布(さらしぬの)、陸前国野田は千鳥、紀伊国高野は旅人または氷で、摂津国三島は「うのはな」とされています。

玉川の里

卯の花

三島の玉川は、別名「砧(きぬた)の玉川」と呼ばれています。「砧」とは布などを木づちで叩いて柔らかくするときなどに使う台のことで、川を描いた浮世絵には、河畔で砧をうつ人物が描かれたものがあります。「うのはな」の和名は「ウツギ」といいます。つまり、「砧」は「打つ木(ウツギ)」で、「うのはな」とつながるのです。
初夏の玉川を詠んだ和歌・俳句には、「うのはな」が多く登場します。
うのはなや暗き柳のおよびごし これは元禄7年(1694)の夏、松尾芭蕉が伊賀上野(現伊賀市)に帰郷し、大坂や京に頻繁に出入りしていた頃に詠んだ句で、現在、玉川の里にはこの句碑がたてられています。

2.卯の花
和名 ウツギ  別名 ウノハナ ユキノシタ科ウツギ属の落葉低木。  幹が中空であることからウツギの名がある。また、卯月(陰暦の4月)に咲くからともいう。別名のウノハナはウツギノハナの略称である。
日本各地、および 中国に分布、山野にはえ、生垣や庭木として栽植する。多く分枝し高さ1.5mくらい。樹皮はよくはげる。若枝、葉、花序に星状毛がありざらつく。葉は対生 し長さ3〜6cm。花はふつう5月下旬頃に咲き、側枝の短い円錐花序に多くつく。花冠は白色で径約1p。材は硬く木釘、楊枝などに利用する。

玉川の里の堤

 「うの花のにおう垣根」はウノハナ(ウツギ)が香るのではなく、白い花が美しく映える状態をいう。ウツギに香りはない。 においとしては香りよりも色の意味合いの方が古い。『万葉集』では花のにおいは、もっぱら色の表現に使われ、香りにはほとんど触れられていない。それが『古今和歌集』になると、花の香が注目され、においとしてもとらえられている。
 におうは『万葉集』では圧倒的に色の世界であった。『古今和歌集』で幕を開けたかおりは、『源氏物語』になって確立された。
 かおりが色彩と並ぶ時代がやってきたのである。
 

玉川の里の休憩所

松尾芭蕉の碑

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