平成18年 4月 わがまち紹介
(その4/5)
”流水と歴史のまち 島本町”
尺代
小鳥神社 |
6.尺代 若山神社の北の道を進むと、竹藪の間の「おおさか勧請自然歩道」に入ります。一本道を進み尺代に入ります。平家の時代に戻ったか、自転車しか通れない村の中に迷い込みます。 尺代は河中に奇岩多く、水無瀬石と称し、庭石として諸方に移出する。農を主とし、林業最盛である。蜜柑、栗等の産あり、また水車を利用し製粉、精米等を営む。 1)尺代の水車 明治初年尺代において、杉の葉を乾燥し水車を利用して蚊取り線香の原料を製造したことに始まる。線香納屋が建てられ、安住という会社が経営していた。また製粉、精米等を営んでいた。 昭和に入ってエボナイト(バッテリー)を粉末にして再生するようになり、電池会社の下請けとして十数軒がこれに従事した。現在はエボナイトはボウリングの球の原料に使われている。 エボナイトを朝入れておくと、水車の力で粉になっているので夕方集めればよい。その間人がついていなくてもよいし、動力として水無瀬川の水を利用するので経費が安くつくので、山間の工業として今日なお続いている。 2)ヤマブキ:水無瀬川 島本町の花は、ヤマブキです。春になると鮮やかな黄色の花を咲かせるやまぶき。尺代地区には一重やまぶきの自生地があり、「山吹渓谷」という名前も付けられています。 |
7.諏訪神社 祭神 建御名方神(たけみなかたのかみ) 寛正2年(1461)に字堂ノ尾に創建されたと伝える。 明治5年(1872)本社に列せられる。明治11年(1878)現在地にうつされた。 弓射神事 早朝より最年長の御頭人の家で数人がかりで編まれた大蛇にみたけた大しめ縄(長さ約9m、太さ約40cm)を境内の土塀上に横一文字にはわせ、その前に標的を設ける。 鳥居前の位置から的に向け、的を射た矢が多いほど豊作と言い伝える。 綱引き その後、大しめ縄を土塀から降ろして氏子が二手に分かれ綱引きを行い、勝つた方の組がその年豊作であるといい、勝ち組から土地の代表者を出したと伝える。 8.釈恩寺 曹洞宗 東光山と号す。本尊11面観音菩薩。当地は帝釈天(一名釈提桓因)擁護の地にして村名釈提(後の尺代)もこれによる。 寺も帝釈天の釈と本尊観音の音をとって釈音寺と称し、後に同音の恩の字をあて釈恩寺と記すようになったと伝える。元禄(1688〜1704年)ごろまで音・恩を両用していたという。 |
若山神社境内 |
釈恩寺 |
水無瀬川の渓谷 |