わがまち紹介
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平成18年 4月 わがまち紹介
(その2/5)
”流水と歴史のまち 島本町”
桜井駅跡・宝幢寺・島本町ふれあいセンター

明治天皇の歌碑

2.桜井駅跡
 阪急水無瀬駅からおおきな道を北に進むと新しいJRの駅の建設地に着く、その東側に 回りが木に囲まれた広場がある。これが桜井駅跡です。
 奈良時代のはじめ、平城京と各地を結ぶ交通路を整備するために駅家が設置された。 そのうち、京から西国へ向う道筋に設置された駅家の一つに「摂津国嶋上郡大原駅」が「続日本記」にきさいされている。これが桜井駅のことを指すものと考えられている。  駅(駅家)とは、大化改新以降、幹線道路に30里(16km)ごとに設けられたもので、馬など旅に必要なものを備えられた施設である。
 京と山陽道をつなぐ道は西国街道と呼ばれ、古来栄えた街道筋であるが、桜井駅の実態についてはよく分かっていない。

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子わかれの 松のしずくの 袖ぬれて 昔をしのぶ さくらいのさと
桜井地区は湊川の戦いに出陣する楠木正成が嫡子楠木正行と別れた「桜井の別れ」 後醍醐天皇の進める「建武の新政」は急激な政治の変化をもたらし、これを助けた武士たちに不満を募らせることとなりました。武士たちは足利尊氏のもとに集まり遂に挙兵しました。これに対し楠木正成は天皇方の大将として兵庫に赴く途中、この地において嫡子正行に「父が討ち死にしたのちも一族をまとめて戦い続けることが忠孝である」と遺訓し別れました。
 これが「太平記」に見られる桜井の別れです。このことは忠孝の逸話として伝承され、後世に多大な影響を及ぼしました。

桜井駅跡説明板

 島本町ふれあいセンター

3.宝幢寺(ほうどうじ)
桜井駅跡を過ぎて,直ぐに左に回りJRの踏切を過ぎると、一般民家と少し違う門の建物が見える、これが宝幢寺です。
浄土宗知恩院末寺 安養山と号す。本尊阿弥陀仏。慶長15年(1610)9月桂山上人が開山した。「山崎通分間延図」にはなぜか八幡神社付近に描かれ、現在に宝幢寺のあたりに以幸庵が描かれている。それによれば文化年間(1804)〜18)以後に現在地に移ったことになる。
宝幢寺屋敷内に地蔵堂がある。
昭和27年創建、身代り地蔵(福禄地蔵ともよぶ)をまつる。
延命歯痛止地蔵尊・もとニチレ・バークシャー工場(現島本高校)の地にまつられていたが、工場建設のため昭和37年4月ここに移し安置した。

4.島本町ふれあいセンター
平成8年7月に完成した、島本町の福祉・保健・文化の活動拠点で、新しくて立派な町立図書館や、劇場にもなる多目的ホールがあります。
今回の調査にあたり、島本町教育委員会岡 巌図書館長にお世話になりました、この場をおかりしてお礼申し上げます。

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