わがまち紹介
目次へ|次へ(その2/5)

平成18年 4月 わがまち紹介
(その1/5)
”流水と歴史のまち 島本町”
桜井駅跡・宝幢寺・島本町ふれあいセンター
若山神社・尺代・水無瀬神社

月    日: 平成18年4月6日(木) 10:00集合
集 合 場 所: 阪急水無瀬駅北口
参 加 資 格:  ボランティア活動保険加入者としました。
天   候: 好天気に恵まれ、桜日よりと言えます。
 島本町と言えば、水無瀬川・水無瀬神社・離宮の水と"おいしい水"で有名です。
今回は、此の"おいしい水のまち"を訪れる計画をいたしました。調べていきますと水無瀬川の流水・水無瀬神社の離宮の水は当然ですが、山間の神社や歴史の有る昔の村々を訪れれことが出来ます。
 鶯のみでなく多くの小鳥がさえずる「おおさか環状自然歩道」の散策をすることにしました。ハイキングスタイルでの参加としました。

島本町とは
 島本町は、大阪府の東北部にあり、木津川・宇治川・桂川が合流する淀川右岸に位置し、 天王山と男山に挟まれ、昔の摂津国と山城国の国境に位置し、旧西国街道がまちの中心を通る交通の要衝として栄えてきました。
 このまちに人々が住み始めたのは今から約2万年前の旧石器時代といわれ、山崎や桜井など山麓の丘陵部にその痕跡が見られます。奈良時代には、奈良東大寺の荘園が置かれ、平安時代には山崎津がにぎわったことが更級日記にみられます。鎌倉時代になると後鳥羽上皇が離宮を築き、この地をこよなく愛されたといいます。また、俳諧の祖、山崎宗鑑も室町時代この地で活躍しました。
 明治時代になり廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐が吹き荒れましたが、現在も数多くの文化財が残っています。
 全体の約7割を山岳丘陵地が占め、狭い平坦地に人口約3万人が住み、国道171号線、東海道新幹線、阪急京都線、JR東海道本線、名神高速道路の主要幹線が通っています。 また、大阪・京都の中間で交通の便もよく、豊かな緑や 水という良好な生活環境から、衛星都市のベッドタウンとして発展を遂げています。
 水がおいしく、水無瀬神宮からわき出る水は名水100選に選ばれ、多くの方がその水をポリタンクで持ち帰られます。
 山沿いでは3月から8月まではウグイスの鳴き声、6月は水無瀬川でホタルの舞、夏はミンミンセミ、ヒグラシ、ツクツクホウシなどの蝉時雨、時折キジの鳴き声、秋は虫の声、自然がいっぱいの町です。
島本町の名前は、明治22(1889)年4月1日に、大沢・尺代・山崎・東大寺・広瀬・桜井・高浜の7つの村が合併して島本村ができました。「島本」という名前の由来は、『大阪府全志』によると「其の地は島上郡に於ける河水の上流に位置せるに依り、其の意を採りて島本村と名づけ」たとされています。その後、昭和15年4月 1日に「島本町」となりました。

1)水無瀬遊猟:水無瀬
背後に丘陵が迫り、前面に淀川沿いに低湿地が広がる水無瀬野は小動物や野鳥の棲息する絶好の狩猟場であった。そのため都が平城から長岡、さらに平安へと遷されるにつれて、天皇や貴族がしばしば狩猟に訪れるようになる。狩猟を好み各地に遊猟を行った桓武天皇や万事派手好みで遊覧に明け暮れた嵯峨天皇の治世には、ことに水無瀬野への行幸が頻繁に行われた。

2)小倉百人一首のふるさと:水無瀬
水無瀬川と淀川が合流する付近(現在の広瀬地区、東大寺地区)は水無瀬とよばれ、古くは東大寺の荘園であった。景色の美しさとたなびく霞で知られ、「万葉集」の時代から歌枕とされた。後鳥羽上皇はこの地をことのほか愛し、何度も行幸をしてついには水無瀬離宮を造営したほどであった。上皇が亡くなった後、離宮跡は水無瀬神宮となった。 その他、小倉百人一首のうち50句を合わせ言葉の順番に並べると、水無瀬の絵図が完成する。これは藤原定家が 絵図に一致する歌を集めたためといわれている。 また、島本町には藤原定家と親交も深かった後鳥羽天皇の別荘があったので、この地は小倉百人一首のふるさとといわれている。
また、 新古今和歌集巻一冒頭の「夕さればみなもとかすむみなせ川夕べは秋となどおもふらん」はこの地を詠んだものである。

目次へ|次へ(その2/5)