わがまち紹介
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平成18年 2月 わがまち紹介
郡家新町
その2:”素盞鳴尊神社・嶋上郡衙”

 郡家新町には、今城塚古墳があり、この古墳の東約400mの所に素盞鳴尊神社(すさのおのみことじんじゃ)古くは神郡社(かみごおりやしろ)と称した神社があります。
この社より約100m東に嶋上郡衙(ぐんが)(8〜10世紀摂津国嶋上郡の郡役所)跡の遺跡があります。(郡家新町・清福寺町・川西町・津之江町には史跡が点在しています。)

素盞嗚尊神社
 この神社の東側は、かつて奈良時代に嶋上郡衙(嶋上郡の郡役所)のあったところで、素盞嗚尊(すさのおのみこと)神社が創建される前は、ここには郡の繁栄を願う郡寺(芥川廃寺)があったとされている。郡寺は白鳳時代、7世紀に創建され、平安時代中頃まで続いたと考えられている。
左中写真は郡家の回廊の想像復元図(高槻市教育委員会名の「芥川廃寺の回廊」解説板より)である。 発掘調査の結果から、このような回廊が直上の写真で、赤と緑の表示のある位置に現在の道路に直交する形で存在していたと考えられている。
神社の鳥居をくぐると、直ぐ右側に大きな石の「手水鉢」が置かれているのが見える。この石は近くの水田から出土したといわれており、郡寺の塔の心礎に使われていたものであるとされている。 この心礎の大きさから見ても想像できるように郡寺には塔がそびえ立ち、立派な金堂が建てられていたものと推測されている。
神社名は、素盞嗚尊であるが、素盞嗚尊神社と呼ばれる前、古くは神社名を神郡社(かみごおりのやしろ)と称していたといわれている。
大化の改新以降、地方に郡県制度がしかれたといわれている。この付近は「郡家」と呼ばれていることから、奈良時代に嶋上郡の郡役所即ち「郡衙(ぐんが)」が置かれていたところではないかと考えられている。
 左の写真は南端から見た「郡衛跡」である。 簡素な造りの木製の橋の向こう側に見えるレンガの敷いた所が「郡衙」の南側になり、表門があったとされる場所である。 「郡衙」の南を通っている街道から真っ直ぐに表門まで大路がつけられていたといわれている(上記の郡衙跡付近の復元図参照)。

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