わがまち紹介
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平成18年 1月 わがまち紹介
"心やすらぐ自然のまち:寒天の里を訪ねる"
その1/2(寒天工場訪問)

 平成18年1月19日(木)は、寒波は来ていましたが、雪が舞う程度の晴天で寒天作りに適した気候でした。

寒天業が摂津の国へ伝播したのは天明年間(或は明和年間)で、大阪府島上郡原村(現在の高槻市)のこの土地が地勢、気候、水質等寒天製造の条件に最も適している事から、原藻の配合や製造法に工夫を凝して立派な寒天を製造する様になった。
現在高槻では、(株)タニチの「タニチ田能工場」で伝統を引継ぎ、寒天を製造しておられます。
訪問先 1.会社名:株式会社 タニチ タニチ田能工場
    高槻市大字田能小字ウシロ田18
2.説明者:工場長 北舎 眞澄 氏
3.内 容:1)寒天は寒い時期のみしか作れません。従って1月の下旬を選びました。     2)近年、温暖化の影響がこの寒天製造業にも影響し、1月下旬の 一番寒い時期でも少ししか製造されないこと。
北舎工場長は、長年寒天作りに専念され、次々と新しい製品にも手がけておられます。
当日、風邪をひかれておられましたが、寒風の中で丁寧に説明をしていただきました。
本当に有難う御座いました。
田能地区は、バスの本数が少ないです。
市バス田能発 14:23に乗り帰ることにしましたが、バスを待つ時間に寒さを吹き飛ばすためと森林公園まで歩き出すしまつです。
このくらい寒いところでないと寒天作りに適していないのですね。
寒天業が摂津の国へ伝播したのは天明年間(或は明和年間)で、大阪府島上郡原村(現在の高槻市)美濃国加納藩主永井家の領地で宮田半兵衛(現戸主宮田勝三氏6代の祖)が、この土地が地勢、気候、水質等寒天製造の条件に最も適している事を発見し、原藻の配合や製造法に工夫を凝して立派な寒天を製造する様になった。
現在、高槻で伝統を引き継ぎ寒天を作っておられるのは、タニチ田能工場だけです。
工場長 北舎 眞澄 氏日々新しい製品開発に取り組んでおられます。
工場見学をお願いした最初、タニチ田能工場は観光するところでない、 昔は田んぼ一面に寒天干しをしていたがそれを想定してこられるので今は見学者を受け入れていないなど言われたが、お願いしたしだいでっす。 最近、寒天が健康食品として良いとの報道から市場では品薄を起こしているようです。
異常なブームで、品薄になり、価格が沸騰しても、長い長い取引の得意さん(和菓子屋さん)には常に品質を揃え、価格も努力して納入を続けておられるとのことです。

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