わがまち紹介
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5月 わがまち紹介
“高槻の自然をしろう!!”
芥川緑地資料館、芥川、あくあぴあ芥川
(その6/6)

高槻市の歴史(芥川城を中心にして)

1467 応仁元年  1月 8代将軍足利義政の時、菅領畠山・斯波(しば)家の相続争い起こる。
1473 文明5年  3月 西軍の総師山名宗全死去。
     5月 東軍の総大将細川勝元死去。
1505 永正2年  正月 連歌師の柴屋軒宗長が有馬温泉に行く途中、芥川城に立ち寄る。
芥川城主は能勢頼則。
1516 永正13年  8月 能勢頼則死去。源左衛門尉頼明が新城主。
1523 大永3年  秋 能勢源五郎が芥川城主。
1543 天文12年  8月 ポルトガル人、種子島に漂着し鉄砲を伝える。
1553 天文22年  秋 芥川の用水をめぐって、松尾神社社家と地元とで争論がおこる。
この頃、芥川城主芥河孫十郎を三好長慶軍が攻撃する。
1559 永禄2年   芥川の用水をめぐって、真上村と郡家村とで争論がおこる。
1560 永禄3年  5月 桶狭間の合戦。
1564 永禄7年  3月 信長、浅井長政と結ぶ。
1568 永禄11年  2月 信長、北伊勢を平定。
1568 永禄11年  9月 織田信長軍が近江に進軍した後、山城に入る。
足利義昭を奉じて入京
三好三人衆は、勝竜寺城(山城国)、芥川城(摂津国)
飯盛城、高屋城(河内国)を拠点に抵抗を試みる。
1568 永禄11年 9月28日 芥川城に細川昭元・三好長エ・三好下野入道らが立てこもっていたが、織田軍の先陣が芥川市場に放火。
1568 永禄11年 9月29日月 信長の本陣が天神馬場に進め総攻撃に移り、その日の夕方に落城。
1568 永禄11年 9月30日 織田信長が芥川城に入る。
1568 永禄11年 10月1日から 降伏した武士、京都の貴族が挨拶に訪れる。
1568 永禄11年 10月3日 竹内秀治・畠山高政・松永久秀・池田勝正など訪れる。
1568 永禄11年 10月11日頃 堺の豪商今井宗久が名物「松島壺」を持って訪ねる。
※織田信長の芥川城逗留14日間は、門前町をなす。
 織田信長は、摂津支配を和田惟政・伊丹親興・池田勝正の三将に委ね、  和田惟政を芥川城主に任命。(和田氏は滋賀県甲賀町の出身)
1569 永禄12年 正月5日 三好方は足利義昭のいた京都市内の攻撃に向かう。
足利方の援軍である伊丹・池田軍は、高槻城の入江氏が三好方に味方したため、西国街道が遮断され、忍頂寺から山越えで乙訓郡に出て、桂川に陣をはる。
1569 永禄12年 正月6日 桂川周辺で決戦が行われ、三好方は敗北。
1569 永禄12年 正月9日 織田信長が支援のため六条本圀寺に着く。
入江氏、上洛し信長に詫びをいれるが許されず、断罪に処せられ。
和田氏、芥川城と高槻城を預かる。
1569 永禄12年 3月26日 堺より、ルイス・フロイスが富田寺内町に到着。
1569 永禄12年 3月27日 悪天候のため、ルイス・フロイスと警護の高山氏が、芥川城に入る。
1569 永禄12年 5月頃 堺の豪商今井宗久が、富田五百住の代官に登用される。
1569 永禄12年 6月 和田惟政、キリシタン保護の件で信長の叱責をかって芥川城を謹慎。
1570 永禄13年 2月頃 和田惟政、京都で信長に見参を許され、赦免される。
1570 元亀元年 6月中頃 姉川の合戦で、近江浅井軍を破る。
1570 元亀元年 三好三人衆、摂津野田・福島で挙兵。
1570 元亀元年 8月26日 信長、天王寺に陣を構え、摂津野田・福島の三好三人衆に攻撃される。
1570 元亀元年 9月8日 惟政、池田で攻撃し、市場に放火して敵陣を混乱さす。
1570 元亀元年 9月12日 本願寺が三好三人衆としめしあわせ挙兵。
北近江でも、浅井・朝倉氏挙兵。
1570 元亀元年 10月21日 惟政、摂津御牧の一揆勢を討つ。
1571 元亀2年 8月18日 白井河原の合戦。和田惟政、池田勢2,000名と交戦し戦死。
高槻城は池田勢に包囲される。
1571 元亀2年 9月24日 明智光秀が1,000名の軍勢を率いて、高槻城を開城する。
和田惟長が城主となる。
1573 元亀4年 3月 高槻城内で城主派と家臣高山飛騨守派との争いがあり、高山飛騨守が城主になる。(クデーターがおこる。)
高槻城内はこの事件の火災のため、建物の大部分消失する。
1573 元亀4年 8月 高山右近が城主になる。
1576 天正4年  月 高槻に本格的な教会が建つ。安土城を築城。
1578 天正6年 11月 摂津国主荒木村重、本願寺や毛利氏と組んで、信長に反逆。
1579 天正7年 11月9〜10日 信長軍、高槻城・茨木城を包囲。信長は安満に陣どる。
右近に対しては、オルガンティーノ司教に説得される。
1579 天正7年 11月16日 右近、茨木市郡の信長のもとに参上。
1579 天正7年 12月 右近、摂津市に陣どる。
1580 天正8年 4月 右近、伊丹市に陣どる。
1580 天正8年 9月12日 右近、中川清秀と尼崎に陣どる。
1580 天正8年 11月19日 伊丹・有岡城開城。
1581 天正9年   高槻城に巡察師ウ゛ァリニァーノを迎え復活祭を催す。
1582 天正10年 6月2日 本能寺の変(信長48才)。高槻に安土よりセミナリオを移転。
1582 天正10年 6月13日 山崎の合戦。右近隊2,000名で先陣として参戦。
1583 天正11年 4月 柴田勝家と羽柴秀吉との賤ケ岳合戦。右近も参戦。
1583 天正11年 9月 秀吉、大坂城の築城を開始。
1585 天正13年 8月21日 右近、播磨明石に移封される。(13年間高槻を支配)
中川秀政、播磨三木に移封される。
1585 天正13年 9月 摂津の大部分は秀吉の直轄地となり、高槻城には秀次の実の弟羽柴小吉秀勝が入る。
1585 天正13年 12月 羽柴小吉秀勝、丹波亀山城主になる。
1587 天正15年 5月 秀吉、天下統一。
1587 天正15年 6月 秀吉、「キリシタン禁制」を発する。
1588 天正16年 7月 秀吉、「刀狩令」を発する。
1590 天正18年   河尻肥前守が城主?。石高1万石。
1592 天正20年   代官吉田勝治が滞在?。
1595 文禄4年   新庄駿河守直頼が移る。
1598 慶長3年 8月 秀吉死去
1600 慶長5年 9月15日 関ヶ原合戦。合戦で富田の富豪清水市郎左衛門が奔走する。
1600 慶長5年 9月21日 福島正則・池田輝政、大阪に向かう途中で高槻を通過。
徳川氏の直轄地となり、高槻城には徳川の直臣が入る。

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