わがまち紹介”富田”
(やすらぎの神社仏閣・伝統の酒造り・福祉のまち富田)
(写真集 6/9)
普門寺 釈迦如来と十一面千手観音菩薩 隣接する三輪神社はもと当寺の鎮守社で、臨済宗山号慈雲山、本尊釈迦如来明徳元年(1390)僧説巌の草創で、鎌倉建長寺末寺で、出家した細川晴元が入寺したことで良く知られている。晴元は永禄4年(1561)5月、三好長慶に近江朽木谷に潜居していたのを迎えられた。 |
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晴元は永禄6年3月1日当寺で病没し、境内に晴元の墓と伝えられる宝篋印塔がある。 元和3年(1617)に龍渓和尚が当寺に入り、約40年かけて方丈など、諸堂を建立し、当時は、隆盛を誇ったと言われている。明暦元年(1655)には、龍渓が明の高僧隠元禅師を迎えいれ、寛文元年(1661)山城宇治黄檗山万福寺に普山するまで留錫した。 | 龍渓も同年慶端寺に移り、寺は以後龍安寺の輪番所となった。明治6年(1873)から住持が置かれたが、その後無住の期間が続いた。方丈の西北側にある「池泉式枯山水の庭園」は江戸時代初期、庭作りの名人、玉淵の作と伝えられ、観音補陀落山の庭といわれている。 | |
↑ 拝観時、拝殿で説明のビデオを見ている風景です。 襖の絵を身近に見ながらの説明です。 |