わがまち紹介
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わがまち紹介”富田”
(やすらぎの神社仏閣・伝統の酒造り・福祉のまち富田)
(写真集 3/9)



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← 延命地蔵
富田には所々に地蔵尊が有ります。
この地蔵の横の道は、高槻へ向かう主要道路でした。
従って、道案内の石碑が今も残っています。
→ 清蓮寺 当初この地に念仏堂が建っていたが、地震で崩壊し、天正12年(1584年)に紅屋清水利重が、良閑和尚を招いて創建したと伝えられている。
境内には樹齢400年といわれる老松があり、元禄7年(1694年)造営された本堂、庫裏、鐘楼堂や、富田各地から集められた石仏などがある。また清水家の一族である入江若水の墓や漢文碑などがある。  
→ 江戸時代前期の富田の地図
江戸時代前期の富田については、富田寺内の中核となった教行寺の南と西には御坊内町、東には南岡町、北にはヨコ町・西之町があり、その北辺には東町・中之町・西之口町の三町が東西に続き、教行寺が再興されたのと並行して計画的に造成された寺内町の名残である。東町から西之口町にかけては、典型的な短冊型宅地割をとどめ、この地区が寺内町の商業地区として賑わっていたものと推定される。  
江戸初期に紅粉屋(紅屋)市郎右衛門一門が徳川家康に商業の特権を安堵されて酒造を開始した。富田村の商工業を代表したのは紅屋を中心とする酒造業の展開であった。
そこで富田酒は急速に名声を高め、延宝8年(1680)には24軒で8270石造っている。これは富田村酒造業がもっとも盛んであったころの数字である。 
← 清鶴酒造
→ 寿酒造

摂津の国、富田郷。富田の地名はかつてこの地で皇室御料の屯田が営まれていたことに由来します。優良米の産地で育成された良質の酒米と、石灰層を通って湧き出る阿武山々系の清水で醸し上げられたのが富田酒です。
『香味勝て宜し』と賞せられる富田の酒は、淀・阿武山の清水や米処としての地の利に加え、豊かな町衆文化に切磋琢磨されたものです。