わがまち紹介
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わがまち紹介
”富 田”
(やすらぎの神社仏閣・伝統の酒造り・福祉のまち)
「とんだのお酒 1/2」


富田のお酒
摂津の国、富田郷。富田の地名はかつてこの地で皇室御料の屯田が営まれていたことに由来します。優良米の産地で育成された良質の酒米と、石灰層を通って湧き出る阿武山々系の清水で醸し上げられたのが富田酒です。この地に酒造りが興ったのは1471年(文明3年)当時創建された永照寺の縁起の中に、酒造を生業とする好田宗信が檀家として尽力したとする記載があります。
時を下り豊臣・徳川の世には、酒造を生業とする蔵方十人衆と呼ばれる町衆組織が勢力を持ちます。中でも紅屋清水氏は、大阪の陣の功により家康から1800石もの酒造株が与えられた。
『香味勝て宜し』と賞せられる富田の酒は、淀・阿武山の清水や米処としての地の利に加え、豊かな町衆文化に切磋琢磨されたもの。(清鶴の資料から)

徳川時代はお酒も節季(セッキ)だけの払いで、お酒のみのお父さんがいる家はまとめてどかんと酒代の請求が来て「おとうちゃん半年でこんなにお酒飲んだん?」と言う具合にたいへんだったとか?

清鶴酒造
清鶴酒造  富田町6丁目
 富田のお酒が、屈指の「下り酒」として江戸の酒徒にもてはやされたのは、ひとえに『純で濁らず、香りの良さとコクが身上』であると讚えられ、ずば抜けて美味であったからに違いありません。創醸1856年(安政年)の清鶴は、現在最も古い歴史を持つ富田酒の醸造元となります。
清鶴酒造は、富田酒の伝統をかたくなに守り、いたずらに量産を図ることなく、手づくりによる酒造りを地道に続けています。
繊細にして大胆。昔ながらの職人気質で有名な但馬杜氏が、五感を駆使して手間暇惜しまず、我が子を慈しむように醸し出します。
その技が目指すものは『甘』『酸』『苦』『渋』『辛』五味の調和そのものです。
口に含んで喉ごし良く、さらに香り高く、後味にふくよかな余韻がのこる・・・・・
これこそが私たちの変わらない理念であり、皆様から高い評価を頂く『清鶴』の持ち味です。(摂州富田酒 清鶴のパンフレットから)

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