わがまち紹介
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わがまち紹介
”富 田”
(やすらぎの神社仏閣・伝統の酒造り・福祉のまち)
「とんだの神社・仏閣 3/3」


教行寺
教行寺  富田町6丁目
 浄土真宗大谷派、山号安静山、本尊阿弥陀仏
JR摂津富田駅の南側の富田寺内町は、文明8年(1476)本願寺8世・蓮如が室町幕府管領・細川勝元にこの地を与えられ「富田道場」を開いたことから、寺内町が形成されていった。
蓮如はこの富田道場で親鸞上人が著した、浄土真宗の立教開宗および教義に関する根本聖典の「教行信証」を写経した。これに因んで教行寺と称されるようになり、北摂での一向宗の布教拠点として現在に至っている。
富田道場は天文5年(1536)の一向宗弾圧で道場や信徒の家々が、北摂の武士たちによる焼き打ちにあったが、4年後に再建がゆるされた。蓮如は晩年しばしば富田の教行寺を訪れており、境内には蓮如上人御愛樹築山紅梅が残っている。

慶端寺
慶端寺(けいずいじ)  昭和台町2丁目
黄檗宗(おおばくしゅう)、山号祥雲山、本尊聖観音
持統天皇朱鳥8年(694)僧道昭の開基で、景端寺と号する法相宗寺院であったが、中世の兵乱で荒廃し、応永(1394〜1428)頃、松巌が再興し景端庵と称したが、松巌の没後再び無住となる。
江戸時代になり、寛文元年(1661)普門寺から龍渓が入山し、祥雲玉慶端寺と改称された。山城宇治黄檗山万福寺末寺となる。龍渓に深く帰依した後水尾法皇は、寛文5年(1665)念持仏香木観音を本尊として寄進、同7年には仏舎利3個と法皇の御歯を下賜、これを納めた聖歯塔(九輪塔)が境内に残る。

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