わがまち紹介
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わがまち紹介
”富 田”
(やすらぎの神社仏閣・伝統の酒造り・福祉のまち)
「とんだのまち 2/4」


富田の名前の由来
 高槻市の富田は、富田史談によれば律令制以前の天皇家の御料田である屯倉(ミカケ)が富田に置かれており、その役所である屯家(トンカ)が音便変化してトンダとなったともいわれています。

富田台地
 富田台地は、奈佐原丘陵の南端から突出している標高10〜30mの舌状の台地で古くは藍野とも呼ばれた。
三島郡の条里制が確立、弥生・古墳時代以来、居住および水田開発が進み、古代にはすでに大部分が水田化されていた。道路や畦畔、水路など一定の間隔で東西、南北に規則正しく走り基盤目状に区画水田が広がっていました。

富田寺内町
 富田寺内町 富田は十六世紀中頃には寺内町として栄え、又、江戸時代に入って酒造業で栄えた町です。寺内町とは寺院の境内に展開した都市集落で、富田村は塀に囲まれており、町割が計画的に施されていました。
大阪府下の寺内町には、大阪、富田、久宝寺、招提、貝塚、富田林、大ケ塚、枚方、八尾などが有るようです。


背景は筒井池公園です

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