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“ 設立5周年記念行事 ”

学習&ボランティアの実践<PART U>
〜 継体大王が眠る今城塚古墳からハニワのふるさとへ 〜
(報告4/4)


八幡大神宮、氷室地区の氏神として崇敬を集めて来た神社です。祭神は天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、応神天皇、天児屋根命(あめのこやねのみこと)である。この神社から約200m離れた場所にある「闘鶏野神社」と同じ祭神である。
現在でも、正月には初詣に訪れる人は数多い。そのためか、整備が行き届いており、綺麗である。

八幡大神社

新池ハニワ工場公園

ここに工場が造られ、ハニワの製造が始まったのは西暦450年頃とされている。当時、ハニワは太田茶臼山古墳のために造られたらしい。480年頃には窯、住居共に新設され、番山古墳などのハニワを焼いていたと推定されている。更に、530年頃には今城塚古墳のために窯が多数造成され、ハニワの生産量は最大となり、今城塚には数万本のハニワを送り出したといわれている。

ハニワの製造工場は日本全国で約90ヶ所発見されているらしいが、天皇のためのハニワ工場の全体像が明らかになっているのは、この新池遺跡だけといわれている。
 この埴輪製造工場は約100年間稼働した後、550年頃以降からは大きな古墳が築造されなくなったため、この工場も閉鎖されたらしい。

新池ハニワ工場公園

ハニワ工場公園案内板

大形埴輪工房

作られたハニワ品

史跡新池埴輪製作遺跡は、5世紀中頃から6世紀中頃までの約100年間操業していた、日本最古最大級の埴輪生産遺跡です。
3棟の大形埴輪工房と18基の埴輪窯、工人集落などが丘陵上約27,000uの発掘調査で確認され、大王陵級の古墳の埴輪生産システムを具体的に知ることができる貴重な遺跡です。
 ここで作られた大量の埴輪は太田茶臼山古墳(5世紀中頃、茨木市・現継体陵)や史跡今城塚古墳(6世紀前半、郡家新町)といった巨大古墳をはじめとして、土保山古墳や昼神車塚古墳などの三島の有力者の墓に立て並べられました。
 また同時に確認された7世紀の集落跡からは、新羅土器(しらぎ どき)も出土していて、『書紀』欽明天皇二十三年条にある新羅人の子孫が住むという「摂津国三島郡埴廬(はにいほ)」そのものにあたると考えられ、『日本書紀』の記述を裏付ける遺跡でもあります。

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