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“ 設立5周年記念行事 ”

学習&ボランティアの実践<PART U>
〜 継体大王が眠る今城塚古墳からハニワのふるさとへ 〜
(報告3/4)


西国街道芥川の宿の西、芥川を渡った北西すぐに清福寺太子堂があります。 間口一軒四方の小さなお堂ですが、宝形造(ほうぎょうづくり)の建物で、堂内には聖徳太子少年像が安置されています。
江戸時代、清福寺には「摂津十組大工」の一つ「清福寺組」という大工集団があり、御所や幕府関係の建築作事をしていたそうです。貞享4(1687)年には52人、明和2(1765)年には29人の大工がいましたが、幕府とともに消滅したそうです。

清福寺太子堂

嶋上郡衙跡

太子堂は、大工の始原神として崇められた聖徳太子を祀り、大工仕事の繁栄を祈願し、職人たちの結束を固める象徴的存在です。
明和2年(1765年)に、清福寺大工組によって建てられました。
かつて大工組が集まった地域は各地に多くあるものの、このような建物が現存しているのはごく珍しいことです。
高槻市の有形文化財に指定されている。

嶋上郡衙跡
大化の改新以降、地方に郡県制度がしかれ、この付近は「郡家」と呼ばれてた。奈良時代に嶋上郡の郡役所即ち「郡衙(ぐんが)」が置かれていた。昭和45年(1970年)に行われた発掘調査により、ここに約1300年前に「郡衙」のあったことが確認され、この地は三嶋地方の中心地だった。
素盞雄神社(芥川廃寺)
古くは神郡社(かみごおりのやしろ)と称せられた。今でも鳥居に「神郡社」の扁額がかかっている。

素盞雄神社(芥川廃寺)

今城塚古墳

観音寺

闘鶏野神社

今城塚古墳は、公園の整備工事中なので遠くから眺めて終わった。
闘鶏野(つげの)神社の「鳥居」は名神高速道路の南側にあり、「社殿」は北側にある。
「鳥居」をくぐると石段があり、神社社殿までの「参道」が名神高速道路の上をまたいでつけられている。
祭神は天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、応神天皇、天児屋根命(あめのこやねのみこと)である。この神社から西南側に約200m離れた場所にある「八幡大神宮」と同じ祭神である。
闘鶏野は仁徳天皇62年頃、額田大中彦皇子の猟場であったといわれている。奈良の闘鶏野とともに、古事記、日本書紀の「氷室」発見伝承に基づいているという。

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