学習&ボランティアの実践<PART U>
〜 継体大王が眠る今城塚古墳からハニワのふるさとへ 〜
(報告2/4)
平成21年12月2日(水) 学習&ボランティアの実践 PARTU 〜 継体大王が眠る今城塚古墳からハニワのふるさとへ 〜 第4回は、JR高槻駅からハニワ工場公園までの約5Kmの散策です。 古代からの数多くの古墳や文化財が点在する北部地域を、20名程度のグループに分かれ、各団体の会員がガイドとなって説明しながらコースを散策しました。 下見を重ね出来るだけ安全なルートとするため、芥川商店街を通ったり、住宅地の中を散策することになりました。 JR高槻駅 ⇒ (芥川商店街・15分) ⇒ 芥川一里塚 ⇒(西国街道 10分) ⇒ 教宗寺 ⇒(西国街道 5分)⇒ 芥川橋 ⇒(10分)⇒ 太子堂 ⇒(5分)⇒ 嶋上郡衙跡 ⇒(5分)⇒ 芥川廃寺 ⇒(10分)⇒ 今城塚古墳 ⇒(5分)⇒ 今城塚公民館 ⇒(前塚・観音寺・20分) ⇒ 闘鶏野神社 ⇒(闘鶏山古墳・番山古墳・10分)⇒ ハニワ工場公園(解散) ⇒ 上土室バス停 |
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旧西国街道沿いには、中2階の町家、決して連続度は高くはないが格子や袖壁を従えている所が残っています。 宿場としては古く弘安年間(13世紀)に始まったとされ、その後鎌倉幕府御家人の芥河氏一族の本拠地となり、芥川城を構えている。永禄11(1568) 年に落城するまで、ここは芥河氏の城下町でもあった。天保年間(19世紀中期)の記録では32軒の旅籠があった。その他人馬継立ての問屋場、年寄、人足など宿場町の一切の機能が集結していた。 |
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仇討説明板 |
芥川一里塚 |
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西国街道芥川の宿の一里塚のそばに立て札がありここが「芥川仇討ちの辻」と知れます。 300年ほど前、14歳の少年が辛苦の末父の敵を討ちますが、討たれた武士の懐から、自分に罪があり、打たれて当然、討ったものに咎がないむねの書状が入っていました。 この仇討ちは、当時の武士道のモラルを貫いた美談として広く全国に喧伝されたといいます。 |
橋詰地蔵 芥川の東詰に、享和元年と神峰山毘沙門天道右と刻まれた新しい石碑があります。 左には愛宕山献灯と彫られた灯篭がみられます。そこに橋詰地蔵尊が祀られています。また、その向かいにも地蔵尊が祀られています。 お地蔵さんは綺麗にお化粧されていました。 |
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旧芥川宿(西国街道) |
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教宗寺 |
橋詰地蔵 |
芥川側橋詰地蔵 |