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“ 設立5周年記念行事 ”

"わがまち学ぼう"史跡めぐり
〜 伝統の酒造りと寺内町のまち"富田" 〜
(報告6/6)


← → 三輪神社
もとは普門寺の鎮守社とも、富田村の産土社(うぶすなしゃ)ともいわれています。
紅屋(清水家)が寄進した鳥居をはじめ、灯籠、狛犬など、江戸時代からの石造物が多く残るほか、絵馬堂には多くの絵馬が飾られ貴重な民俗資料です。
三輪神社末社春日社は、江戸時代前期にさかのぼる優品であり、社殿とともに近世富田の中核として歴史的、文化的に優れた景観をつくる社寺を構成するものとして貴重なものです。

三輪神社

三輪神社

↓ 本照寺  応永34年(1427)本願寺7世在知またはその弟子正信が開基したといわれて、もとは光照寺と称していた。
本堂前庭には国の天然記念物「富寿栄の松」があったが、昭和47年(1972)頃枯死した。本堂の中にはその松の幹で作った「火鉢」が有ります。
大規模な本堂は、本山格の真宗寺院の代表として、平成2年(1990)に高槻市の有形文化財に指定された。
本殿内部の柱は、全て丸柱で屋根まで一本柱で届いているとのことです。

↓ 清蓮寺
池光山と号し、浄土宗に属します。もとは念仏堂であったが、地震のため崩壊、富田の酒造家清水家によって再建された。
紅屋の清水家代々の墓や、入江若水、藤田友閑などの江戸時代富田の文人の墓があります。境内には樹齢400年余りといわれる老松があります。
藤田友閑は江戸時代前期の富田の書画家です。寛永年間、三筆に数えらる松花堂昭乗に学び、松花堂流(滝本流)の高弟であったといわれています。

三輪神社の鳥居

本照寺の山門

本照寺の本堂

清蓮寺境内

本計画の11月11日を18日に延期した経緯について
フィールドワークでは、雨天の事も考えながら大筋を計画時点から協議して決めていました。
11日の前日、11日は、大雨の注意報が出ているほど天候が悪かったのですが、朝の天気予報で決める事にしていました。
朝、天気予報通り大雨、午後の大坂地区は50%、ところにより雷注意報が出ましたが、 富田地区の詳細天気予報では、午後3時頃まで雨その後回復に向かっていました。
今回は、史跡めぐりだけでなく、環境美化も掲げていましたので、傘をさしゴミを拾いながらの散策は危険で、あまりにも不愉快な思いを参加者にさせると判断し、9時に実行委員会として最終的に延期することにしました。
当初決めていたように、スタッフの会は、歴史資料館で朝早くから電話の対応をして頂き、 VG槻輪は、小寺池図書館前で来られる方に「延期の看板」を持って、延期のお知らせをする事にしました。
勿論、3団体の実行委員は、出来る範囲の方に電話で延期をお伝えしました。
小寺池図書館前では、来られた方には、ガイドブックをお渡しし、ガイドをすると申し出ました。
槻歩クラブ実行委員と代表の方も、図書館に来て来てくれました。ガイドの要求をされたらガイドをしようと来て下さったとのことでした。(感激!!)
11日の一連の行動は、3団体の実行委員が一体になって対応出来たのではないでしょうか。

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