"わがまち学ぼう"史跡めぐり
〜 伝統の酒造りと寺内町のまち"富田" 〜
(報告5/6)
普門寺 明徳年間(14世紀末)に僧説厳(せつがん)が創建、鎌倉建長寺末寺であったといわれています。 元和3年(1617年)には龍渓和尚が普門寺に入り、約40年かけて方丈など、諸堂を建立し、当時は隆盛を誇ったといわれている。 隠元禅師、龍渓和尚が去ってからは普門寺は寂れ、明治時代には堂の多くは失われ、昭和初期までは専任の住職も居なかったらしい。 昭和3年遠山麦浪が普門寺の住職になられ、遠山家によって継承されています。 |
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普門寺の方丈 |
庭園の散策 |
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普門寺の庭園 阿武山を背景にした枯山水の庭園は、江戸時代初期の玉淵の作と伝えられている。 今は城壁の上に大きな木が生い茂り阿武山を見通すことは出来ない。 昭和56年(1981)には国の名勝に指定された。 → 一番奥に立っている石は滝を表し、その手前の平たい細長い石は橋、橋の手前の地面で苔のない部分は川を表しているという。 |
現在はほぼ全域が国の名勝になっています。 また、昭和52年(1977)には方丈が国の重要文化財に指定され、その後、昭和57年(1982)からの解体修理で、こらけ葦の往時の姿が復元されました。 境内にはこの地で没した細川晴元の墓と言われる宝篋印塔(ほうきょういんとう)が有ります。 その横に、遠山麦浪の墓が有ります。 |
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国の名勝の枯山水の庭園 |
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お堂の内で説明を聞く |
細川晴元・遠山麦浪の墓 |
夕日の中の方丈 |
慶瑞寺 今回は時間の関係で回りませんでしたが慶瑞寺が有ります。 慶瑞寺は、祥雲山と号し、黄檗宗に属します。 境内には、龍渓に深く帰依した後水尾天皇の歯や仏舎利を納めた聖歯塔、龍渓の木像や遺品を納めた開山堂があります。寺宝として後水尾天皇の勅書や、隠元、龍渓などの直筆が今に伝えられています。 昭和61年(1986)に本堂から発見された木造菩薩座像は、8〜9世紀の作とみられます。異国的な相貌が特徴的な本尊は、平安初期の優品として、平成元年(1989)国の重要文化財に指定されました。 |