"わがまち学ぼう"史跡めぐり
〜 伝統の酒造りと寺内町のまち"富田" 〜
(報告3/5)
→ 教行寺 安静山と号し、浄土真宗大谷派に属します。文正元年(1466)、細川勝元より、富田の地を寄進された本願寺8世蓮如が、文明年間(1469〜87)に畿内への布教活動の中で、その地に富田道場(のちの教行寺)を創建したといわれ、そこから道場を中心に寺内町が形成されました。 教行寺の重厚な山門は当時の面影を残しています。山門を入って右側に蓮如上人が好んだという梅の古木が今も美しい花を咲かせます。 |
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酒蔵会社の前での説明風景 |
教行寺での説明風景 |
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↑ 富田の酒蔵 富田の酒は、池田、伊丹と並ぶ「北摂三銘酒」のひとつに数えられています。 富田の酒造りの伝統は、清鶴酒造、寿酒造の2軒の酒屋によって富田の地酒が守り続けられています。 酒とともに、ウリの酒粕漬け「富田漬け」が有名です。ウリは高槻の服部の白瓜で富田の酒粕で独特の技法で漬けられシャキシャキとした歯ごたえが独特です。 |
← 普門寺・石畳 普門寺の山門を入るときれいな石畳の参道があります。 明の高僧隠元は、江戸初期に同寺の9世龍渓禅師に住持として迎えられ、黄檗山万福寺を開創まで7年半留まった。隠元が自ら手がけた石畳は幾何学模様のすっきりしたデザインとなっています。 |
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普門寺の参道 |
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普門寺の方丈 |
「獅林」の額・句碑 |
普門寺の句碑を説明 |
普門寺は、昭和3年に遠山麦浪が住職になられ、僧職業務の傍ら、昭和9年俳誌「獅林」を創刊され、師露月の俳道を広め、多くの門徒を育てて現在に至っています。 露月句碑:昭和28年12月8碑序幕 門を入って敷石の上を行くと左側の植え込みの中にある。 石の表は苔むして刻まれた文字は読みとりにくい。 碑の表 聞くならく伽藍の内外秋の風 露月山人 碑の裏面 碑に身を寄せて聞け秋の声 麦浪 |