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“ 設立5周年記念行事 ”

"わがまち学ぼう"史跡めぐり
〜 伝統の酒造りと寺内町のまち"富田" 〜
(報告2/5)


平成21年11月18日(水)(11月11日が雨で延期されました)
学習&ボランティアの実践 PARTT   〜伝統の酒造りと寺内町のまち “富田”〜
富田は、寺内町として栄え、今も往時を偲ぶことができる富田の町を、体制として15〜17人のグループ5班に分かれ、VG槻輪の会員が班リーダーの責任者になり、各会の会員(槻歩クラブ・文化財スタッフの会)がガイドとなって説明しながらコースを巡りました。
あわせて散策路や主なポイントで美化・清掃活動を計画し実施しました。
参加者全員に軍手とゴミ袋を渡し清掃活動を行いました。
安全な散策を行うために、サポーターを各班に配員し危険箇所での誘導を行い、無事に終了することが出来ました。

全ての写真には、表と裏が有りますので写真の上にカーソルを移動して見て下さい。
写真は上野さんから提供して頂いた写真を主に採用させて頂きました。

← 出発前の説明風景
集合場所を富田駅前でわかりやすい場所として「小寺池図書館前」としました。
全ての計画を参加者数150人としました。図書館前は狭いので如何に図書館前で班分けをし、順次出発するかをシュミレーションし準備をしてきました。
出発の30分前に、各班のリーダー、案内者、サポーターの方に運営要領の詳細を記載した書面を渡し、口頭で説明をして徹底を図りました。

出発前の説明風景

小寺池公園での説明風景

まず、班分けを短時間に速やかにするために、リボンで組分けが出来るように、5色のリボンを準備しました。
ゴミ収集は、可燃、缶、ガラスの3種分別をして収集。軍手と火バサミを配布して行いました。
仏閣に入る時の注意点も説明し、安全で無事故を第一にとお願いしました。
各班のリーダーと説明者で時間調整し、参加者に満足してもらえるように、時間配分をして頂き予定の時間で終わることが出来ました。

班リーダーには、黄緑のVG槻輪のブレーカー、説明者には赤のブレーカーを着ていただき誰でもわかるシステムを考えました。
写真の中の赤い人が全て説明者です。良くわかるでしう?。

↑ 小寺池公園の説明をしているところです。

← 蓮如上人の腰掛け石の説明をしているところです。

蓮如上人の腰掛け石

説明板での説明風景

富田の地蔵尊と道標の見学風景

富田の酒蔵の町の風景

富田の由来
天皇家の御料田である「屯倉(みやけ)」が富田におかれ、その役割「屯家(とんか)」が音便変化して、トンダとなったという説があるそうです。

寺内町・富田
寺内町とは、戦国期に浄土真宗や寺院を中心に、寺内(境内)との名目で壕や土塀をめぐらして防御を定めた町を指します。
現在では、清蓮寺の一角にその一部が残っていると言われます。現在は安全の為にコンクリート覆われてコンクリートの塀になっていますが内部は石積みになっているとのことです。
文明年間(1469〜86)に本願寺8世蓮如が布教活動の途中、富田道場(教行寺)を開いたことに始まると言われています。
農民は、農閑期には商工業に従事し、この町では多くの職業が存在しました。中でも酒造業は有名で最盛期には24の酒蔵が有ったと言われています。現在も2軒の酒蔵が有ります。
「富田宿」(東岡町)と「寺内町」(富田道場、富田御坊)の両面を持ち、周囲は小川を環壕とし(北西)、また石垣(東南)で守られ、村の入り口は3つの門(北、西、南)を備えていました。(江戸時代前期の絵図で確認出来ます)

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