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かおる会総会 「呉」に出席して

3期  畑 宏樹     

3巨頭  平成18年度のかおる会は待ちに待った呉を選んでいただいた。
前もって下調べまでしていただいた役員の皆様に先ず御礼が言いたい。
 あの映画「男たちの大和」は見る機会を逃がしていた。遅ればせながら、何とか見たいと思っていたから娘がVIDEOを借りてDVDにしてくれたので先日の日曜日に家内とみる気になった。 3巨頭 映画の「六斗炊き飯釜」が出てくる場面あたりでぼつぼつ涙が出かけた途端に電話。しぶしぶ会社に出かけ現在未だ最後までは見ていない。
今度の日曜日には是非見ようと思っている。
 思えば武智先生の「かおる会」への思いは「共存共栄」の精神だった。私がいまだ40年以上も塗装屋を続けておられるのもこの「かおる会」の皆様のお陰だと喜んでいる。
 昔、かおる会会報の一節に先生が書かれていたと思い・・・「先生のふるさと愛媛の家からみかん畑が見える。小高い丘にすばらしいみかん畑がみえる。始めは1本のみかんだったのだろうが年々そのみかん畑が大きくなってゆく。その1本1本が花を咲かせ実をつけてゆく。そしてこんなに大きなみかん畑になってきた。きっとこの「かおる会」もこの様になると思う」と。いまこの文章を思い出している。
 そして先生と関係の深い「男たちの大和」を見て涙を流したいのである。
3巨頭  今から思えば50年前、親友故吉富と2人で木子先輩、武智教授の指導で卒業研究「鋳物砂に加えたピッチの影響について」を終え、吉富はクボタに入社、私は村田に入社させて貰った。
 家庭の事情で村田を10年で辞めたのが、それから40年、皆さんから塗装の仕事を頂いた。先日もこの旅行中、古川先輩のビルを塗装させてもらっている最中だ。塗装屋としてかおる会の皆様には大変お世話になった。
40年前に辞めた村田機械は、いまだもって当社の三本柱の1つとして仕事をさせてもらっている。これも先輩として村田で教えてくれた杉原さん、後輩の橋口さん、亡くなった飯田さん、杉原さんと関係の深い田中光明さん、そして楠さんだ。
 長い間かおる会の会長をしてくださった古川さん、そして事務局としてだまって君臨する荻野さんの存在だ。
「呉から得たもの」戦艦大和が昭和16年にすでに出来ていたこと、村田機械在職中の10年間に生産管理の顧問をして頂いた渋谷隆太郎中将、先日かおる会で木子会長の講演にあった東大造船科卒業の枡方教授の話、そして私と木子先輩が枡方教授宅にお伺い出来て先生と山本五十六大将が双眼鏡をもたれて写されていたあの大きな写真、等々・・・。 偉大であったあの武智教授、枡方教授そして渋谷隆太郎中将、大岡さんが訪問された 96才の藤田忠男先生。
3巨頭  あの渋谷隆太郎中将から「畑君、品質管理というものはなぁ昔海軍であの舟のスクリューの検査官がいた。ただひたすらにスクリューの検査だけを一生続けた。あの検査官がいなくなって始めてわかった彼のすばらしさを。
そして昔あの戦争時代B−29が墜落して部品を調べた。あの滑走する時に使う車輪のボルトネジの雄・雌が指の力で入れてみるのに皆同じ強さで入って行くんだよ。君、公有のが品質管理と言うんだ。」おそれ多い渋田中将から直接説教された話だった。
思えばこの経験も村田機械で教わった。ありがたい。ありがたい。
 今度は石川登喜治早稲田教授(元海軍造機中将)の巻頭言を3年前八ケ岳の古本屋で見つけたので山岡内燃機(株)即ちヤンマー(株)の広告と共に紹介したい。

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