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父について
故武智馨先生のご子息(次男) 武智 昭
大阪工業大学鋳物研究室の創業50周年、誠におめでとう御座います。
そして、それ以来かおる会の皆様には私共の父が大変お世話になり有り難う御座います。
又本日、皆様には遠路箕面霊園まで父母の為墓参していただき有り難う御座いました。
厚く御礼申し上げます。
さて本日は、お招きに預かり何か挨拶をと言うことで御座いますが、私が強く感じております父の人となりに付き少し述べさせて頂きたく存じます。
私は、終戦前年の昭和19年次男として生まれました。私の幼年期の父は、兄が想い出話に述べているような厳格な父ではなく、一方的にやさしかったと云う印象があります。
それと申しますのも、日本がまさかと思った敗戦となり、海軍も無くなり、その後の世の中の流れには抗し難いものがあると認めざるを得なくなったからでは無いでしょうか。
現実に我が子が日本的伝統からはなれ西欧的な考え方による教育を受けているのを見て、大げさな云い方をすれば絶望感に打たれたのではないかと思います。
それで私に昔風の教育をする気持ちも無くしたのではないでしょうか。父はマッカーサの日本占領政策に避難し「戦後の事は全て認めない」と口癖のように云っていました。
やがて大阪工業大学に奉職させて頂くこ事になりましたが、晩年良く「戦前は物作り、戦後は人作りと云う仕事を与えられた」と云っておりました。「戦後の事は全て否定する」と云いながらも日本の復興そして次の世代の人作りと云う仕事に真正面から取組み、生き涯に燃えていたと思います。
父は昭和62年昭和天皇の御在世中に亡くなりました。その人生を明治以降の日本復興期、そして敗戦、それから戦後の復興と繁栄と云う近代日本の歴史と共に歩みましたが、戦後の繁栄は上つ面だけであって精神的バックボーンが抜けていて非常に危なかしいものだと云うこ事を我々に良く申しておりました。
父はズーッと日本の行く末を心配し続けていたのだと思います。しかし自分の意に反した世の有様を見るに付け気丈でありましたが、一抹の寂しさ、どうする事も出来ない気の重さと云うものを終生感じていたと思います。
そうした中でかおる会の皆様の存在がどれ程父を勇気づけ、生き涯となり、又心の寄り所となった事でしょうか.。
仕事の事、遊びの事、人生万端の事、全て戦後の父はかおる会の皆様に支えられていたと思うのです。
この意味でかおる会の皆様にはいくら感謝しても感謝しきれないと思います。
今後共、益々かおる会そしてかおる会の皆様が繁栄され、各方面で御活躍されますよう心よりお祈り致しまして、御挨拶とさせて頂きます。
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