かおる会 会員便り
目次へ|前の便り次の便り

加賀百万石城下町金沢&世界遺産五箇山合掌集落の旅


 かおる会諸兄の皆さん、11回卒の江見です。ちょっとタイミングずれたのですが、旅行記を投稿します。
「かおる会総会を金沢で!」が残念ながら実現できず、申し訳けなく思っていました矢先、タイトルのような旅行に誘われ、参加してきました。その内容を簡単に紹介します。

 2年に1回開催される〇〇先生後援会の旅(H30年2月16〜17日)に参加した。
今回は、「加賀百万石城下町金沢と世界遺産五箇山合掌集落」の観光の旅であった。
コースは「飛騨一宮・水無神社⇒五箇山・菅沼地区合掌集落⇒尾崎かまぼこ館⇒金太郎温泉宿泊⇒金沢・ひがし茶屋街⇒金沢駅⇒金沢城公園⇒日本海さかな街」であった。

★飛騨一宮・水無神社
◇御祭神:飛騨一宮水無神社(みなしじんじゃ)は、水無神(みなしのかみ)として「御年大神(みとしのおおかみ)」を主神に外十四柱の神々が祀られている。
 水無神(みなしのかみ)の名は平安時代中期に編纂された格式「延喜式(えんぎしき)」に記載され、飛騨国の一宮と称されて飛騨国中の宗祀として現在に至るまで篤い信仰を受けている由。
◇御神徳:水無神(みなしのかみ)は、表裏日本を分かつ分水嶺に座して水源と交通の要衝を鎮め、実りと収穫を司る「作神様」として産業を奨励し民生の安定を進められた神様で、美濃、信濃、越中など広範にわたる縁故地に分社が祀られている。
 御神徳を募って、開運厄除、交通安全、家内安全、商売繁盛、農事安泰、学業成就、恋愛成就、良縁、安産、初宮詣、子授けなどさまざまな願意をもって多くの人が参拝される由。

★世界遺産・菅沼合掌造り集落
 菅沼合掌造り集落は、険しい山あいを流れる荘川のわずかな河岸段丘にあり、現在9戸の合掌造り家屋が残っている。
冬は豪雪となる厳しい自然に耐え、養蚕など仕事の場としても適した住まいとして、はるかな歴史を重ねて完成された合掌造り。
その力強い美しさを中心に、日本の原風景ともいうべき山村の景観も含めて、1995年に岐阜県白川郷、五箇山相倉とともにユネスコの世界遺産に登録された。


★加賀百万石城下町金沢
 加賀百万石の城下町。町の中心に兼六園、その向かいに前田家の居城跡・金沢城公園。
繁華街の香林坊の西は、石畳に土塀が続く長町武家屋敷跡で、武家窓のある長屋門が情緒たっぷり。
お城の北東、浅野川にほど近いひがし茶屋街。文政3年(1820年)に犀川西側の「にし」とともに誕生。
一階に出格子を構え、二階の建ちを高くして座敷を置く独特の町家が連なる。現在は新に金沢駅が観光名所に追加されているようだ。
今回の観光は金沢駅・ひがし茶屋街・金沢城公園の3ヵ所であった。

◇金沢駅・鼓門:
北陸新幹線延伸開業に伴って、便利になった金沢駅。
 駅から外へ出ると大きなドーム「もてなしドーム」と鼓のような形をした「鼓門」が目に入ってきた。
鼓門は米松で作られており、伝統芸能の能楽で使われる鼓を二つ並べたような形をしている。もてなしドームはアルミ合金のトラス構造で天井はガラス張りの由。
また、夜にはライトアップされ、米松の温もりある色と美しい曲線がとても印象的だそうだ。

◇ひがし茶屋街
 石畳の道に紅殻格子のお茶屋が軒を連ねる。
江戸時代の遊郭に由来する古い町並みが広がり、重要伝統的建造物群保存地区である。
その代表である国の重要文化財指定のお茶屋「志摩」を覗いてみた。

◇金沢城公園
 天正11(1583)年、前田利家が金沢城に入り、その直後から本格的な城づくりが始められた。
当時は城内に重臣たちの屋敷があり、決して広い城ではなかった。金沢城は度々火災に見舞われ、城の構造(形態)がどんどん変わっていったようである。

・慶長7(1602)年、落雷により天守が焼失した後、天守は再建されず、本丸には三階櫓と二の丸には御殿が建てられた。
・寛永8(1631)年の火災の後、二の丸の拡大や辰巳用水の通水などにより、城の構造が変化するなかで、武家屋敷も城外へと出された。
・宝暦9(1759)年にまたまた火災があり、城のほとんどを焼失した。その後の再建では、実用性を重んじ、二の丸を中心とした整備が行われ、本丸の櫓は再建されなかった。
・現存する石川門は、この後天明8(1788)年に再建されたもの。
・平成13年に復元された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は、文化5(1808)年の二の丸火災の後再建され、明治14(1881)年の火災で焼失したもので、安政頃の景観を再現した由。

 金沢城内にある有料の復元施設です。菱櫓と橋爪門続櫓は物見櫓として、五十間長屋は武器庫として使われていた。菱櫓は建物全体が菱形で、床や柱、天井などの断面なども菱形になっており、全国でも珍しい例で通常の建築よりも高度な技術が必要となる由。(右側が菱櫓、左側が橋爪門続櫓、中央が五十間長屋)


 平成に入って金沢大学が引っ越した跡地に、五十間長屋など、このような立派な文化遺産を再構築され、後世に残される金沢の皆さんに敬服するばかりでした。

了      

11期 江 見 章 臣  

平成30年8月16日     

このページの先頭へ戻る