かおる会 会員便り
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2008年 アジア小旅行
10期   緒方 正文       
  昨年(2008年)アジアの世界遺産を観るのを主目的で、ついでに私は日本と比較してその国の発展振りや国民性を、家内は茶道に関する陶器を目当てに、中国、韓国、ベトナムを各々3日から5日間ぐらいの短期旅行をしましたので、その印象を書いてみました。

1、中国・北京(2008年2月29日〜3月2日,3日間)
@ 北京市内
世界遺産北京天壇公園 ・オリンピック前と3月5日に全国人民会議があるとかで、天安門広場は警備員や指導員(腕章をつけて煙草のポイ捨て注意とバスの整列乗車を指導)により清掃が行き届いていた。
・北京オリンピック160日前で、各種競技場つくりが昼夜を問わずやっていた。
メイン会場の鳥の巣も工事中でバスの中から見るだけ。
建設現場は機械化があまり見られず、人民工による人海戦術が目立ち、これで間に合うのかと思ったが、本番をTVで見るとチャンとできていたのには驚いた。
・ 此処2.3年の急速なモータリーゼイションに人がついて行けず、自転車と人が優先の交通ルール。
信号無視の横断や割り込み運転で、度々大声で怒鳴ったりしているが不思議と事故を見かけない。
A 国民性、
・ ガイドの話だと、中国では小声で話すのは悪口を言っていると誤解されるので、大声の人が多い。
日本人が見ると喧嘩しているように見えるが。
・ 日本人観光客相手にオリンピックをネタにした商売や、ブランド品の偽物が多く本物との区別がつかない。
然し観光客には物売りのしつこさがなかったのは意外。
B 市民生活
・ 自転車が大衆乗り物で、安いのは1500円。
なのに電動自転車も見かける。
・ 百貨店、ショッピングセンター、コンビニは見かけず、夜間は街は静か。
・ 貧富の差が大きく服装や履物が極端に違う。
金持ちは高級乗用車を乗っている。
・ 表通りは整備されているが、一旦裏に入ると工事の残骸がそのまま放置されたり、一般市民の粗末な家屋などがあり、表裏の光景が極端。
・ 給料ベースは日本の15年前とか。
日本語が話せる優秀ガイドで給料は14万円。
・ 以前日本で騒がれた農薬混入の輸入餃子問題は、現地のレストランでは何故か全く気にせず、ツアー全員美味しく食べた。
・ 朝の公園では老人がやたらに多く、まるで大きな老人ホームのようで、太極拳、囲碁、マージャン、などをして、のんびりした時間を送っている。
C 印象
・ 世界遺産の天安門広場、故宮博物院、万里の長城、天壇公園、人力車に乗っての昔風の集落フートン巡りなどをしたが、全てにおいてスケールの大きさと歴史の深さを感じた。
・ 反日感情が根強く商売上手(悪く言えばズル賢い)と思っていたが、観光地や庶民市場での売り子は穏やかで親しみやすく、残留日本人孤児を自分の子供として育てた事などを考えると懐の深い国民性を感じた。

2、韓国・釜山からソウル(2008年7月8日〜11日・4日間)
統一展望台から @ 釜山から慶州、安東、丹陽、利川、ソウルまで各地の世界遺産を見ながら、正味3日間で806kmの韓国縦断バス旅行。
A 最終日は烏頭山(オドウサン)統一展望台から38度休戦ラインの川を隔てた北朝鮮を見た。
・ 望遠鏡で直ぐ近く(一番狭い川幅は460mとか)の北の生活ぶりを見られるが、表面は平穏だが国境には鉄条網が張られ、韓国の1,500家族が北にいったままで、同じ民族でありながら今なお自由に会えないという。
・ 利川には滋賀県の信楽のような窯元が沢山あり、家内はお気に入りの物を買い目的達成。
B ソウルでは市役所の周りを警察の車が囲み、米国からの牛肉輸入自由化反対のデモ対策をしていた。
日本のTVでは激しい国民性を感じるが、反日感情はあまり感じない。
韓国利川陶器村で作者と D バスからの田園風景は全く日本の風景と同じで、四季もあり田畑や木々、雑草まで同じで異国とは思えない。
E 約20年前にエンジン製造指導の仕事で、南の木甫(モッポ)に行ったが、その時の印象は表面的には友好だが心中は見せないで、とにかく日本の技術を引き出し、日本に追いつき追い越す事に必死になっていたのを感じていた。
然し今では日本と同等またはそれ以上の製品を作り出すまでになり、言葉は違うが、体格や肌色も同じで、アジアでの同じ仲間意識を感じた。
F 世界遺産は中国と比べると全体的にスケールが小さく、強く印象に残るものは無かった。
G 毎回食事で出るキムチだけは最高の味だった。
何故日本でのキムチ味と違うのか。

3、ベトナム・ハノイ(2008年11月26日〜29日・4日間)
ハノイ 人力車観光 @ べトナムは約30年前に現地工場の再建調査で3回(南のホーチミン2回、北のハノイ1回)、約20年前のタイ駐在時に部品調査で2回(ホーチミン)訪問したことがあるので、その時からどのくらい発展しているかを見るのが楽しみだった。
A 観光
・ホーチミン廟、一柱寺、庶民市場、ベトナム陶器の生産地バッチャン村、水上人形劇を観て、最後にハノイから170km離れたハロン湾クルーズをした。
B 戦後からの復興
・ベトナム戦争は1973年サイゴン陥落で終わり、76年統一国家となってからは共産党一党支配のままで、首都のハノイは30年前に見た時より発展はしていたが、南のホーチミンに比べ、かなり近代化が遅れている感じ。
・ 特にハノイは統一後33年経っても戦争によるダメージからの回復が遅れているのをみると、戦後の日本の復興はすばらしいと改めて認識。
・ 現地エンジン工場の再建調査で工場の技術者と何回も会議をしたが、日本人と変わらない真面目さと頭の良さを感じ、金と物があれば直ぐに日本に追いつくと思った。
しかしいまだに立ち遅れているのは、一党独裁の政治の精で、当時も政府官僚と一般国民との貧富の差が極端に大きいのを感じたが、現在もそのまま続いている感じ。
・ 朝夕のラッシュ時の街は、バイク(ホンダスーパーカブクラス)が圧倒的(2人に1台で250万台とか)で、次に自転車、そして自動車の順で、道路一杯に洪水の様。
20年前は自転車がトップだったのが今はバイクに変わってきていた。
・ 今なお街には所々に戦争の爪跡が残り、20年前は街角で物貰いをしていた枯葉剤による奇形児は、今は成人し、絹製品の刺繍や、陶器の絵付けの技術をつけさせて観光客相手の土産品をつくっている。
世界遺産ハロン湾魚の岩 C 農業
・農作業は機械化が殆ど見られず、牛による耕作で、揚水はやぐらを組んで桶で2人でくみ上げたり、脱穀は足こぎ(以前は道路にもみを播いてトラックが踏んだのを集めていたのを見た) など、全て人海戦術。
それでいて1年に3回獲れるので、アジアで一番の米の輸出国。
・ 日本の農業機械メーカーのクボタは、今後はアジアではインドとベトナムが最大の農業機械市場と考えていると新聞に掲載されていた。
D インフラの遅れ
・ 電力は水力発電と国内で採れる石炭による火力発電で電力は不足し、夜は薄暗い。
・ 下水道もフランスの植民地時代のままで、大雨が降れば街中水浸しになり、インフラは遅れている。
E べトナム陶器の阿南焼(あんなん焼)は有名になりすぎて、骨董品扱いで高価でとても買えない。
仕方なく記念に新しいのを買う。
F 世界遺産のハロン湾クルーズはずんぐり型の木造船でゆっくり湾内の島々を昼食を取りながら観光するもので、今回の旅行で一番よかった。
G イメージダウン
・過去のイメージでは、ベトナム人は聡明で賢く控えめな国民とおもっていたが、今回の訪問で、みやげ物店の女性の売り子はノルマがあるのか、執拗で値引き交渉も頑なで、賢すぎるのか悪く言えばずる賢い感じがして、少々イメージダウン。

今年は台湾、中国上海、ベトナム南のホーチミン、カンボジアのアンコールワットなどを観たいと思っている。

      2009年2月7日


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