かおる会 会員便り
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米谷友則氏を偲ぶ

新型コロナ問題と厳しい残暑の頃です。
2020年8月22日夕方19時ごろ、米谷友則氏の奥さんから電話で下記連絡を受けました。
「かおる会」9期の米谷友則氏は、7月7日高槻赤十字病院に検査入院しましたが、検査すんだので退院しました。
再度入院し進行性肺癌と診断され8月6日に逝去されました。
葬儀は身内のみで厳か行われたとの事です。
逝去された米谷友則氏を悼み、心からお悔やみを申し上げます。
米谷友則氏は、家族を愛し、郷土・仕事・友を愛し、絵を愛した人でした。
「米谷友則氏を偲ぶ」このページの写真は、奥さんの了解を得て投函するものです。
記・写真 大岡成一 

米谷友則氏の自画像

米谷友則氏の葬儀の祭壇

米谷友則氏自宅の祭壇
米谷友則氏は、自画像をその時々に描いています。いつも自分自身振り返り、自身の本当の姿を見つめ前に進んでいました。

米谷友則氏自画像
(80歳)

米谷友則氏自画像
(72歳)

可愛い「こむぎ」ちゃんと本人
(60歳)
米谷友則氏は、いつも家族を愛していました。

奥さん
高槻市神峯山寺付近で

孫_「富雄第三小学校6年組体操」
運動会

孫_「水遊びの姉妹」
枚方市山田公園
米谷友則氏は、昭和14年山口県下関市で生まれ、いつも故里を愛していました。

米谷友則氏の生家の地図
昭和20年空襲焼失前の地図

重要文化財に指定された
JR門司港駅

下関の海岸
唐戸方面の向こうに関門橋
米谷友則氏は、いつも居住地を愛し、高槻を愛していました。

2018年11月病室の窓から高槻市街
列車は手前からJR・阪急・新幹線

2020年5月高槻市芥川桜提公園
こいのぼりフェスタ1000

カルガモ親子
高槻市富田筒井池
米谷友則氏は、旅を愛し、その土地の絵を描いていました。

賀茂川河原の情景
四条大橋から上流

2017年7月祇園祭蟷螂山鉾
高槻市美術展出展

京都嵐山
晩秋
 永年にわたり「かおる会」の皆様には、大変お世話になり本人も楽しいお仲間を得て沢山の想い出を持って旅立って行った事と思います。
 今年(2020年)のコロナで入院の間も誰とも面会出来なかった事と、一ヶ月という早さで亡くなってしまいましたので、どなたにもお別れの言葉を残す事も出来なかったのが、本人にとっては残念であったと思われます。
 皆様にはどうかお元気でご活躍の程お願い申し上げます。

妻 米谷 幸子  


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