かおる会 会員便り
□□|戻る次へ

藤田忠男先生にお会いして

9期  大岡 成一     

藤田忠男先生についてご報告をいたします。
広島海軍工廠時代の武智馨先生の写真の右側に藤田忠男氏の写真が飾って有ります。

僕と鋳物  平成18年2月13日、大和ミュージアムに「かおる会」の見学打合に行った時に学芸員 桑原功一様 より藤田忠男先生ご紹介を得ました。
かおる会々員には、先生の名前をご存じの方も居られると思います。
藤田忠男氏は、今も元気で大阪吹田にお住まいと聞きました。
藤田氏の写真の説明版には、
「広島海軍工廠においてプロペラ鋳造技術に功績あげ、のちに戦艦「大 和」のスクリューを製作しました。」
住所を教えて頂き、2月26日お伺いしました。
藤田忠男氏をご紹介します。
お父さんは、舞鶴工廠に勤務されていて、英国駐在海軍監督官。
忠男さんは、舞鶴生まれの秋田県人とか。
今も鋳造工学の先生です。
藤田忠男先生略歴
1932年 早稲田大学理工学部卒 海軍工廠に入る
1937〜1940年 英国ロンドン駐在
1940年 海軍技師任官
1946年 石川島重工業、1950年中央工業試験所勤務
1955年 早稲田大學より工学博士の学位受与
1960年 久保田鉄工鋳物研究部長 理事
1972年 (株)合同鋳物技術 代表取締役 現在に至る

 英国駐在時の写真
前列右より3人目
英国での生活
 藤田忠男さんは現在97才とのことですが、非常に元気で つやつやしておられます。
右の写真は26日に撮らせて頂きました。
呉で作った、戦艦大和のスクリューの鋳造の技法のお話しなどをお 聞きしました。
大和は、プロペラ4個で(50ton*4=200ton)このような船 は世界になかったでしょう。
5mW*5mL*5mHのピット内にスクリュウの鋳型を作り流し込んだとのこと。
スクリュウの表面には巣を作ったらだめで、削らずに仕上げる技術開発をして作り上げられた。
英国での話など絶えることがないほど話が弾みました。
藤田忠男さん 藤田さんの書籍及びレポートを頂きました。
1. 僕と鋳物 平成4年 写真左上
2. 英国生活の思い出 1995年
3. 英国往復の船旅と米国バス横断旅行 1995年
4. 戦艦大和の思い出 2003年
5. 大和の思い出 大和のプロペラを製作した思い出 2003
戦艦大和スクリューの鋳型構成要領
藤田さんが二次湯口鋳込み工法を考案された。
この工法により無傷の鋳物が出来るようになったとのこと。
石川登喜治先生  石川登喜治先生の直筆のお手紙。
石川先生は広工廠を作られた方とのこと。
藤田忠男様の話では、「鋳物は経験と勘が主体の職人芸でしていたが 石川登喜治先生、武智馨先生、藤田忠男先生達が欧米の技術や工場制度を吸収し、鋳物工学を作り、近代工業としてきた。」
石川登喜治博士の提唱した菊目組織鋳鉄の話を聞くと鋳造工学で石川先生の名前が本に載っていたのを思い出します。
今も近畿大学の学生が藤田忠男先生のご指導を受けに来ているとの事です。
大和プロペラ鋳型

□□|目次