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かおる会 会員便り


今も忘れられない「にがい思い出」

6期  谷口 啓治     
  かおる会のみなさま
 やたらと暑く、逃げ出したい気分の毎日ですがお元気でお過ごしの御ことと存じま す。
そんな中、本年度の総会案内をいただき楽しみに致しております。
 さて、昨日(平成20年8月3日)、東京ビッグサイトにおいて、1階から4階までを結ぶ長大なエスカレーターが登り途中で停止した挙句に逆走するという大事故を起こしました。
TV画面に「OTIS」と言う銘板が写りましたので、同社向け鋳物製品に関わる現役駆け出しの頃の「にがい思い出」が蘇りました。
多分、かおる会の皆様へは初めてのお披露目かと思いますが、この春に「古河電工」 OB会のHPに掲載した粗文を転用させていただきます。
今春・5月9日に名古屋市の地下鉄で起きた「エスカの逆走」も全く同じメーカーの ものであり、直接、鋳物製部品には関係がないものの「ヤレヤレ」と言う思いが致し ます。
なお、ふたつ目の失敗談が続いておりますが、ご愛嬌までにご一読ください。
 平成20年8月4日   

 
  失敗の巻  「悲」

 関連会社での延長勤務を含めて37年8ヶ月に及ぶサラリーマン生活でありま した。まさに悲喜交々、否、殆ど「悲」だらけだったように思います。それ故に沢山の方たちにご迷惑をお掛けし、励まされて定年までを全うさせていただき、お礼の申 し様もありません。
この稿では、「悲」=失敗をお話しいたします。具体的に実名を用います事を お許しください。

1、昭和36・7年の頃だったと思う。古河アルミの提携先・アルコアの紹介 だったのではないか、東洋オーチス(現・日本オーチスエレベーター)と言う、米国 OTIS ELEVATORの日本法人からご注文をいただいた。エスカレーターの踏み板二種 と、つま先止めの板とであった。 踏み板は、時々破損や幼児の足を怪我させる事故 の報道で知られているが、そのメーカーについては報じられていない。それらの多く はアルミダイカストでつくられ、古河アルフレックス(旧・古河鋳造)が供給してい るケースが多く、東芝製、三菱製のエスカレーターなどに沢山使われている。
 さて、東洋オーチスの場合は、商談もさること乍らダイカストの鋳型の設計 図をアルコアからお借り出来た。鋳型の設計は随分凝っていて、踏み板のフィン状の 筋板の部分は、山と谷と一組分ずつがスライスされた鋼材よりなり、全幅分を積層す るというものであったり、我々にとっては目新しい工夫が数多く見られた。鋳物製品 の設計には、製品図面と鋳型製作図とが欠かせないが、このときにはどちらもインチ 表示の図面であった。
当時、アルコア・ノウハウ導入のために、設計グループ(G)の上層部はそちらに掛かりき りの状態で、設計の担当を未だ雛ッ子の小生が担当した。
第一の難関は、前述のスライスされた鋼材をどうやってつくるか、であった。
小山の工作機械にはジグボーラーすらなく、NC以前のフライス盤如きでは手に負えな い。そこで古河鉱業(現・古河機械金属)の高崎工場に依頼したが、ここですらスラ イスの厚さを薄く出来ず、複数枚分を纏めたサイズに変更を余儀なくされた。次に、 フィン状筋板の間隔(ピッチ)公差が厳しい事、なかんずく、個別ピッチ以外に任意 の数個ピッチごとに公差が決められていた事であった。
インチ表示の図面をメートル式に換算する事も大変であった。ご存知の如く、 8進法が使われるので8分の3、16分の1なんて(インチ)表示が混じっていた。 換算するための計算機は、精々手回しのタイガー計算機までで、一般には「ヘンミの 計算尺」を使っていた頃のことで、フウフウ言いながらも何とか鋳型を作り、最初の 試作が完成した。製品図と照合して寸法通りに出来ているか検査をする。その方法も 「三次元測定器」等は無いので、試作品を正立方体の鋼製ブロックに取り付け、定盤 の上でハイトゲージを使って測ることにしていた。
測定担当の星さんが、「谷さん、寸法が出てないよ」と呼びに来てくれた。成 るほどピッチの寸法が、ほんの少し(百分の5mmくらい)公差を割っている。最初 は熱収縮の問題(アルミの熱膨張を見越して鋳型は大きく作るが、季節によっては膨 張が狂う事もある)かと思ったので別のサンプルも測ってもらったが同じである。鋳 型と鋳型製作図とを調べ、鋳型製作図と製品図面との関係もチェックした。
その結果、鋳型製作図にメートル式寸法を与える際に換算ミスをしていること が分かった。真っ青になったのは言うまでも無く、鋳型の部分的作りなおしの費用約 200万円が当時の年俸を超える金額だったので大いに困った。特別に採用してもら えないか、顧客に度々申請してもらったが、「ハイヒールが挟まる、傘の先が・・」 と言った理由で突っ返された。
この頃は、子供の「やわらかスリッパ」が踏み板に巻き込まれて大事故にな る、とは考えていなかったようだ。
 後に、愚妻を伴ったカナダ旅行の際、エスカレーター毎に「OTIS」の銘板を 見て背筋に汗をかいたし、現在の住居に隣接するショッピングセンター( SC )では、エレベーターもエスカレーターも 「OTIS」なのでなるべく階段を利用するようにしている。

2、鋳物工場で製造課長になりたての頃だったから、昭和45年暮れのことだ と思う。
 新潟県東三条を拠点とする「コロナ」(当時・内田製作所)から、家庭用の 風呂焚きボイラーの熱交換器部分(風呂釜)を受注した。
 受注は、日光・鍛造工場(当時)出身の技術者・大類恒太さんが営業マンと して成熟された時代であって「飛び込みセールス」で受注したというものであった。
何でも、大類さんは他用で信越本線に乗っており、車窓に「内田製作所」の工場・風 呂釜の看板を見て、ハタと思いつきその会社に飛び込み受注に成功したと言う、天晴 れ営業マンのかがみのような伝説を聞いていた。
当時、ガスターという名で金型鋳物製の風呂釜を関連会社経由大手ガス会社に 納入していたが、この方式は熱交換の部分を「古河のハイフィンチューブ」に任せ、 前後端の水室を金型鋳物で作り「・・チューブ」を圧入するタイプであった。「コロ ナ」では大量生産の狙ったのでオールダイカスト製が採用されたのである。
 鋳物工場の中で何度か試作的検討を加え、「これが最後の打ち合わせですか ら、新潟へ行ってきます」との出張申請が出た。折りしも初雪の頃、「雪見の酒を楽 しもう」と、全く良からぬ魂胆で山口末吉さん(故人・宇都宮工業高校卒陸上競技・ 中距離走アスリート)の尻にくっついて出張した。
内田製作所の検査係長・小川さまの裁定は「水漏れあり不合格」。「年初から 1,500台の量産予定あり、このままだとラインに穴があくから対策を考えてくれ、宿 を手配するゆえ一泊して工場と連絡を取り、明日対処法を聞かせて呉れ」というも の。
その夜の「雪見の酒」の拙かった事。幸い東日本アルミ(当時)でティグ溶接 してもらうという手配が成立して一件落着となった。
@、この解決は、当時工場長・阿部一夫さん(故人)の即断に負う所が総てで あった。
A、本体と蓋の二個のダイカスト部品をパッキング式締結から溶接に変更し て、一個1,000円の出費となった。
B、もちろん、宿代、酒手ともに当方持ちであった。
 この失敗の原因は、風呂釜の本体(熱交換部)と蓋(バスタブ向けのホース 接続側)とを水漏れ防止のパッキングを介して、ステンレスのボルト、ナットで締結 するようにしたこと。アルミとステンの熱膨張の差で一旦加熱するとアルミ側が坐屈 を起し、相対的にステンのボルトが長くなり「締め」が効かなくなる、という至って 初歩的な過誤であったが、パッキングの材質検討に熱中し過ぎて肝心のことに手抜か りをしたのだった。
 以上のように、鋳物というシロモノは顧客での加工工程を大幅に省略しつつ 最終商品に直結すると言う長所を持っており、それ故にメーカーとしては鋳物屋冥利 に尽きますが一寸の油断も出来ない「怖さ」があります。
「門前の小僧」式に携わらせて頂いたアルミの「板」や「押出し材」は鋳物と 違って顧客での加工が多く、品質上の問題が緩和されやすいと言う特長?があるよう でした。
但し、同じ板でもPCM(Pre-Coated Material つまりカラーアルミ)のよう なものでは、少々勝手が違い以下のような「お粗末様」がありました。
  「失敗の巻」
   3、モザイク模様になった病院の壁の話
   4、塗膜が剥がれたらフッ素塗料も役に立たぬ
   などですが、紙面の都合で次回に譲ります。
平成20年5月   

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