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かおる会 会員便り
「冬景色」
6期 谷口 啓治
立冬を過ぎても暖かい日が続いていたが、ここに来て例年並みになってきたようよ
うで、天気図の雪ダルマの印が隣県の福島北部に現れだした。
寒さと共に思い出すことがあり、例によって雑文に託してみた。
表題の「冬景色」とは、小学5年の頃の唱歌である。「狭霧消ゆる湊江の・・」と
言う懐かしいヤツで、北朝鮮から引き揚げてきて一年下の学級に編入された音楽の時
間に大きな声で歌ったものだ。声が小さいと、井口さんと言う警察署長の娘であった
音楽教師(のちに、近所の魚屋さんの女将さんになられた)に散々叱られた。その所
為か、今も口をついて出る歌の一つである。
北朝鮮には、昭和17年春国民学校に入学するのを機に、単身赴任中の父を追って
一家で渡った。昭和21年10月まで、つまり太平洋戦争の終わった翌年まで生活を
したが、新義州と言う、中国国境との間に流れるヤールー川(当時、鴨緑江)の河口
付近に位置している都市でである。
黄海寄りの比較的おだやかな気候のところであったが、北緯40度に位置していて、
日本で云うと秋田と青森との中間ぐらいなので寒さは厳しかった。
Ⅰ 風呂上がりのタオルが棒状に凍る
社宅に住んでいて、勿論内風呂はあったが、共同浴場によく通った。冬の夜には、
帰路濡れたタオルを下げていると、まるで棒のように凍ってしまうのである。
このことを、丹波育ちの母が帰国後よく話題にした。朝鮮での生活経験のないひとに
はピンと来ない話題であり、きっと迷惑だったと思うが懲りずに何度も繰り返してい
た。
定年後、罪滅ぼしのつもりで家中の洗濯を引き受けているが、この季節、当地ですら
朝早くに洗ったシャツの袖が硬直する。アノひと、この人に伝えたい事ではある。
Ⅱ 登校を嫌がった
勉強は大好きだった(ホントだよ)が、寒さの中を手をかじかませて通学するのが
苦手で、親を困らせたように思う。
後年、三女が幼稚園への通園を嫌がり、妻と共に思案させられることが度々だった
が、「子を持って知る・・」である。
そのくせ、下校時には何処かで見付けた氷のかけらをけ飛ばしながら楽しく帰る。く
じ引きでようやく当てた貴重品のゴム長靴が傷む、と母親にお小言をもらったもの
だ。
Ⅲ 池の水が凍った
社宅の中でも、我が家は端っこにあったので、すぐそばに池があった。直径30m
くらいのものだったろうか、これが冬になると凍って、天然のリンクになる。厚さ
30cmぐらいはあったと思うが、初乗りに際して氷が沈み、すり鉢状になった。
山形地方出身のひとは、本式のスケート靴を持っていたり、下駄の(歯を抜いた)腹
に引き戸のレールや類似の金具を打ち付けた手製の「チョン下駄」で上手に滑ってい
た。「今年はスケート靴を買ってやるぞ」と言った父の約束は、戦火の大きさと共に
反古となった。
こんな事をボンヤリと思うのも、歳のせいだろうか。
平成17年12月2日
追伸;今日、古河スカイ(株)が東京証券一部市場に 上場した。
何を隠そう、小生が在職していた古河電工の軽金属部門を分離した会社である。
「古河アルミ」もやっと一人前になったか、と嬉しい。反面、親会社が「冬景色」化しないことを祈っている。
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