かおる会 会員便り
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武智馨先生と石川中將早大教授
(その1)

3期  畑 宏樹       

 今から3年前(ほとんど毎年1回は行く八ケ岳に旅した時)、“若者の街”清里の古本屋兼骨董品屋で約一時間、家内を待たせてぶつぶつ云われたことがある。
 昭和17年12月1日発行の「内燃機関 12月号」定価金七拾銭、山海堂出版部出版の本を見つけた。
その巻頭言「生産拡充の科学的解決」と題して豫備海軍造機中將、工學博士、早稲田大学教授 石川登喜治先生の一文がある。
石川登喜治先生の名前を知ったのは、武智先生より鋳造工学を習った昭和29年頃、先生著「鋳造工学概論」の序欄に「終わりに臨み本書を草するに際し大いに参考とさせていただいた石川登喜治先生著「鋳造学」の著者に衷心深甚の謝意を表すと書かれていたのを思い出した。
この「内燃機関」と云う月刊誌は大東亜戦争の始まったばかりの昭和17年のものだから今から65年前のものだ。
紙質は悪いが今も私の宝として大事に秘蔵している。
かおる会の皆さん64年前の海軍中將 石川登喜治先生の文章をとくと読んでいただきたい。「口(くち)やかましく云う」を「八釜敷く唱道されて居る」と書かれているのもおもしろい。
又、親友故「吉富直実君」大学卒業時は、就職難で厳しい時で、クボタに就職する前に中北製作所に入社した。現在も益々元気な会社だが広告が載っていたので紹介する。
彼が生きていてくれたら喜んでくれただろう。
合わせてヤンマーの広告も面白い、今私の内藤塗装はこのヤンマーに喰べさせてもらっているが山岡内燃機(株)の広告である。
本社が尼崎市長洲治京三とある、今は尼崎市長洲東通1−1−1だが昔も同じ所に本社 があったのだろう。武智先生から昔よく山岡孫吉社長の話を聞かせてもらったことがある。
又、ヤンマーの支店が東京市京橋区木挽町7の2となっているが今の東京駅前の八重洲口なのだろうか。
懐かしい広告である。
これもみなさんにみてもらいたいものの一つである。
   記 平成19年5月9日

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