かおる会 会員便り
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平和ぼけも困るが
今の平和に感謝すべき!!

 2期   木子 房二郎       

小松 邑治様
 梅雨入りなのかと思うほど、ぱっとしない天気が続きます。
お忙しい中、現地不案内の我々をお助け頂き、ご助成本当にありがとうございます。
お陰さまで、総会の段取りが着々と進行していることを喜んでおり、厚く御礼申しあげます。
今後、何かとご面倒をお掛け致しますが宜しくお願いいたします。
 大和に関し、武智、桝方先生からお聞きした話を反芻しながら、4冊の本を紐解き、当時の戦況の中、戦い散った、また生還し戦後を生きた方々の思いは如何ばかりであったのかを偲んでいます。
 私の兄は、ミッドウエー海戦から連戦し2度漂流、生還し、3度目、横須賀から川西の飛行艇でシンガポールに飛び、駆逐艦藤波に乗艦、栗田艦隊のレイテ沖海戦に参戦、撤退中、僚艦の傾く重巡、鳥海の乗員救出のため舷側横付けしていたところを爆撃され轟沈した
。 これを併走していた駆逐艦の学友が目撃し、終戦後、母に報告してくれました。
高等商船学校卒業生28名中、生還者2名、いかに戦争は酷く、空しいものであるか、当時、帰還の度に兄から聞かされた戦場の修羅場を「戦艦大和の最後」を読んで、また思い起こしました。
 平和ぼけも困るが、当時、次はお前達が続けと教育された中学1年、今の平和に感謝すべきなのでしょう。
長々とすいませんでした。宜しくお願い致します。
   平成18年5月15日

木子 房二郎     

「戦艦大和の最後」
坪井 平次 著/(光人社刊 / 1,200円)
概要
  第二次大戦について書かれた戦記は数多く出版されている。それらの作品の中で白眉とされているのが吉田満氏の「戦艦大和の最後」である。   漢字とカタカナで書かれたこの戦記は、簡明にして流麗な文体を持ち、昭和の平家物語であるとさえ激賞する評論家もいるほどである。
 しかし、その記録の視点は、学徒兵といえども東大出身の通信士官というエリートの立場からのものである。大和と共に徳之島の西方二十哩の海底に沈んだ三千の骸のほとんどが、下士官・兵であったことを思うとき、名作といえども、吉田満の作品には、あまりにも雄々しすぎ、美しすぎるうらみを禁じ得ないものがある。
  ところがこのたび、三重の教師で、昭和五十五年に教職を退かれた熊野市の坪井平次氏が、出版された吉田満氏の名作と同名の本書は、下士官・兵の立場から書かれた、巨大戦艦の最後の記録である。
  ともすれば戦争体験が風化しつつある今日、身近な人の戦争体験を読むことは、平和とか、人間らしい生活とはということを考える上で、いかに大事なことであるかを、この書は物語っている。
  「艦内にいた幾百人の戦友たちは、灯の消えた真暗闇の室内で、海水を浴び、油と海水がまじったドロドロの中で艦と運命をともにしたのである」と著者は記している。

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