Topページ
会員のホーム・ページ
□□|吉冨直實君 を偲ぶ「写真集 その1/3」

五十年来の親友 吉冨直實君 を偲ぶ

第2期  畑  宏樹       

  正月気分もまだ続く 6日の午後10時過ぎ、新幹線での帰路、奥様より君の突然の死を知った。
荻野行雄事務長に先ず連絡はとれた。昨年「10月かおる会総会」で有馬で飲んだばかりなのに。
  思えば昭和30年2月 武智研究室に二人で採用されてから、大阪の名門北野高校いや学区制で大手前高校から来た秀才は、念願のクボタに入社した。
 就職難の昭和31年春は二人して武智先生に心配をかけたものだ。
二人でダイキンを受けさせてもらったり、勝手に内緒でオンキョウを受けたり、たしか君はNHKを受けたことを覚えている。
いつ迄もダンディな君だった。海外に何度か出張した時もきまって私の女房にハイカラな土産を買って来てくれたものだ。 たしか君は私より2年後に結婚し、私と同様二人のお父様となった。20年後夫々の結婚式に招待を受け夫々にお孫様も増え、お孫さんの将来を楽しみにしていたのに…ちょっと早いじゃないの。
  クボタのバルブ設計者として、技術士の難関を突破し、技術部長の後は、後継者を育てる為クボタの教育センターに教鞭をとっていた期間があったね。
ちょうど尼崎だったので、夜よく飲みに来いと誘われたものだった。
  それが終わると、今度は大阪の有名な進学校の三年生を受け持つ数学の教諭になったね。5年ぐらいいたと思う。「何を教えてる?」と聞いたら大学受験の「集合」とか「確立」をやっていると言ったね。よくもまあ、よくやるものだと酒を飲みながら、感心したものだ。
  私も好きだが、君も確かに酒が好きだった。「焼酎だから」と君はよく言っていたが同じことだ。体に良くない。これが命をちぢめた原因じゃないかな。
  私もつらい。お嬢ちゃんは奈良女子大の才媛で今も塾の先生と聞く。長男良冶君もあのすばらしい能美防災のもうえらいさんだろう。あの弔電の多かったこと。
  もう君の家族のことに心配はない。ただ、奥様をやさしくあの世から守ってあげてくれ。
  君の浄土真宗は「君よやすらかに眠ってくれ」と拝むのではなく「こちらを守ってくれ」と拝む宗教だと聞いた。
浄土に先ず、武智先生が鎮座しておられ、宮崎輝男君、続いて飯田克巳君、そして君のすぐ前には波田巌君、そして新米の君だろう。
決して武智先生は「よく来たのう」とは言ってくれないだろうが、とにかく後に残っている「かおる会」の面々を守ってくれ。
涙…涙が今頃出て来る。涙もろくなった私だ。  頼む。



平成16年1月16日にe-mail で荻野行雄さん経由で頂いた文面を搭載させて頂きました。
□□|吉冨直實君 を偲ぶ「写真集 その1/3」