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平成20年度「第9期 同期会」
加賀・片山津温泉と名所めぐり
【 その3/3:北前船の里・尼御前岬 】

北前船主屋敷 蔵六園(ぞうろくえん)
江戸時代から明治中期にかけて、日本海の舟運として活躍し、京・大坂と北陸を結んだ北前船の船主酒谷家の屋敷。
1000坪という敷地に総漆塗りの豪華な屋敷が建っている。 船箪笥などの家具や古九谷、山中漆器などの美術品も見られます。 藩主専用の間、雪隠、母屋、土蔵、庭園と、北前船 で贅を極めた屋敷が往時のままに現存し見学させて頂いた。

北前船の里/蔵六園正門

蔵六園/庭

「蔵六園」とは全国各地の銘石を集めた庭園部分のことで加賀大聖寺藩主・前田利鬯が、お庭で亀にそっくりな石をお目にとめられて命名された。
広い縁側から眺める庭園は見事です。山野草園には500種以上の山野草が自生しているとのこと。
家及び庭の全体が展示館となり、展示品の1つ1つが今も使える状態です。
→ 30畳の大広間(オカ)で歓談する。

北前船の名称
一般的に北前船と呼ばれている船は江戸時代から明治の初めにかけて日本海で活躍した廻船(弁才船)のことで、 特定の船型をさす言葉ではない。北前船の語源については諸説ある。「北前」とは古くから「日本海側」を一般的に指す言葉であったので、要するに北前船とは 関西、瀬戸内海と蝦夷(北海道)との間を往来して輸送に当たっていた北陸地方の貿易船を云った呼称である。

資料館/室内風景

尼御前岬
加賀市美岬町にある日本海に突き出た岬で、源頼朝の追跡を逃れ、奥州に逃れる途中の源義経一行のなかにあって、尼御前は安宅の関の関所改めの厳しさを案じ、足手まといになるのを避けて海に身を投じたという伝説が残されている。
岬には、その伝説にちなみ尼御前像も立つ。
加賀温泉駅前で次回(静岡?)もみんな元気で会いましょう別れる。

尼御前岬

加賀温泉駅前にて記念撮影

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